【妊娠記録108】長男が三女を受け入れるまで⑤ | 5人の子どもと夫とわたしの日常。喜怒哀楽揺れる日々、言葉にならない思いを徒然なるままに。

5人の子どもと夫とわたしの日常。喜怒哀楽揺れる日々、言葉にならない思いを徒然なるままに。

5人の子と、“ツレウツ”な夫と、わたし。
心の揺れ、葛藤、理想、よろこび――日常にあふれる、言葉にならない思いたちを、まるごとメモしています。
整ってないけど、うそはない。生まれたての気持ちを、そのままここに置いています。


*ともみんちへようこそ*


ここは、わたしの人生のメモ帳です。
5人の子どもたちと夫との暮らし。
日々の揺れ、違和感、気づき。
ことばにならないまま過ぎていく瞬間を
徒然なるままに。

真っ直ぐに
浮かんだまま、鮮度を保ったまま
記録することが目標です。





こちらの続きです。



長男も妊娠には大反対。



あり得ない!

おろしてほしい。

生まれてくるのはあきらめてほしい。

生きている人間を優先してほしい…



そう言って大反対だった。



でも、



出産が迫った頃、

出産の日

そして、

わたしの不在の間…と



少しずつ、

変化していくのがわかった。



退院して、

一緒に生活を始めたとき、



「生まれてきたのなら、

それはもう…

反対も何もない」



と言った。



生まれるかどうか?選べるのなら

生まれない方がいいと思った。

でも、

生まれてきたのなら

それはそのまま受け入れる。




その気持ち、感覚は

わたしには

わかりそうでわからなかった。



母であるわたしにとって

「生まれる」とは

お腹に宿ったところを指す。



でも、

長男にとって

「生まれる」とは

産声をあげたところを指す。




その違いが

理解を難しくしているのだと思う。




母は特別である。

なぜなら、

体感として、いのちを感じられるから。



胎動を感じながら、

いのちをリアルに感じる。



でも、周りにとっては

誕生するまでは現実味が薄い。




“「母」になるのは妊娠したところから。

しかし

「父」や「兄姉」になるのは誕生したところから。”




なんだと確信した。




だから、

生まれる直前まで

「反対」の立場であったことは



非情でもなんでもなく、





(母であるわたしには解さぬけれど)

自然なこころの動きだったのかと、

今は思う。






種を蒔いたときには存在は見えないけれど、

芽が出ると、ここにいると認識できる。

でも、見えない時も確かにいたー





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