つかれない家族 | 5人の子どもと夫とわたしの日常。喜怒哀楽揺れる日々、言葉にならない思いを徒然なるままに。

5人の子どもと夫とわたしの日常。喜怒哀楽揺れる日々、言葉にならない思いを徒然なるままに。

5人の子と、“ツレウツ”な夫と、わたし。
心の揺れ、葛藤、理想、よろこび――日常にあふれる、言葉にならない思いたちを、まるごとメモしています。
整ってないけど、うそはない。生まれたての気持ちを、そのままここに置いています。

「つかれない家族」
新聞の広告欄に載っていたこの本の案内。

図書館で借りてみた。

「つかれない家族に共通する6つの項目」というのが挙げてあった。

「これ、6つともやってる」と思った。

夫にも
この6項目見て!と言ったら
「これ、オレら、やってるやろ」と言った。


「無意識にやってきたことだけど
これってさぁ、初めからそうしていたわけじゃないよな


「たぶん、ちがう。いつのまにかこうなった」


わたしたちは
お互いに「相棒」だと思っている。

何の相棒かというと

人生の相棒ってわけでもなく、
子育ての相棒ってわけでもない。

多分
「家庭をつくる相棒」みたいなイメージ。

家庭というものを
ともにつくるパートナー。

どちらかに合わせるとか
合わせないとか

〇〇をやってもらうとか
やってもらえないとか

そういうことを超えて

ふたりで一つのものを新たに作り上げていく。

15ねんただそれだけは
同じ方向を向いていたんじゃないかと思う。


相手の存在があって初めて「家庭」がうまれた。

わたし1人だけだったらこの家族は始まってもいない。

存在さえしていない。

ふたりになり、始まった「家庭」

だから、ふたりのもの。

だから、いなくていいなんてありえない。

だから、話し合う。

だから、できることを出し合う。

だから、甘える。

だから、頼る。

だから、譲る。

だから、ここだけのルールができてきたんだと思う。

ものさしは「世間のものさし」ではなく、
「この家のものさし」で測り、

作り上げてきた。

だから、お互いに諦めてもいないし、
期待もしていない。

相手を何とかしようとするのも
徐々になくなっていったと思う。

なぜなら、
「この人とだから、この場所が作れた」のだから。

わたしたちは
2人でそれぞれ自分の居場所となる「家庭」を作ろうとしていたんだなぁと思う。

そして、いつのまにか
わたしたちの家に
なった。

何も特別なことはしていないし、
思いやろう、話し合おう、妥協しよう、尊重しようともしていないなと思う。スキンシップを持つとか、素直になるとか…何も意図してやろうとしていない。

そしたら、
無理なく、いられる場所が
いつのまにかできた。

そんな話を2人でしていて

感慨深いものがあった。

夫婦で同じ目的に向かって
歩んできて、
イマココで最高の相棒としていられることは


本当にうれしいことウインク