ほしい感覚「言っても言わなくても言われても大丈夫」 | 5人の子どもと夫とわたしの日常。喜怒哀楽揺れる日々、言葉にならない思いを徒然なるままに。

5人の子どもと夫とわたしの日常。喜怒哀楽揺れる日々、言葉にならない思いを徒然なるままに。

5人の子と、“ツレウツ”な夫と、わたし。
心の揺れ、葛藤、理想、よろこび――日常にあふれる、言葉にならない思いたちを、まるごとメモしています。
整ってないけど、うそはない。生まれたての気持ちを、そのままここに置いています。



人との関係の中で言えなかったことがたくさんある。


言えなかったというか、

言っちゃいけないとも思っていたなと思う。

言いたくても善人ぶって言えなかったも含めて。



細かなやりとりやタイミングの中で感じた違和感や寂しさとかは

気のせいかも?

スルーしておこう!って

当たり前のように無視していた。



何でもない会話の中で感じる自分の違和感があっても

「じゃあ、どうしたい?」と

自分にその場で聞くのが苦手。



まぁこれくらいは悪気もないし、

いいかーと流してきたけど



ほんまに感覚を大事にするって

そういう小さな部分を大事にするということなんだろうなぁ。



「今はいらない」とか「これ以上入らないで」とか

「その話、全然入ってこない」とか



相手を否定するかのようなこと、

noをイメージするようなことは特に言いにくい。



わたしは嫌なんだから、言うのか?

それとも、軋轢が生まれるくらいなら、言わないのか?


どうしたいのか?

それを選んだことによる負の側面も受け入れるのか?

と、そこまで精査することなく



「言ったら、相手が傷つくから言わない」といった、

相手のせいにして

我慢していることが多いなと思った。


我慢して、

結局、つみかさなればなるほど不満になったり、距離をおいて様子をみる感じになっていく。



相手に伝えるか

伝えないか?を


その場でしっかり選んでいるか?


相手のせいにしていないか?



わたしは

相手のせいにしているところがある。


自分にどうしたいか?聞こうともせず、人のせい。


これ、なんとかしたいなー。


思いを言っても大丈夫で

思いを言わなくても大丈夫で

思いを言われても大丈夫っていう感覚を


手に入れたい!!




sowは何でも表現してくるよなぁ〜

それでもOKな世界で生きている。