隠れ家 | 5人の子どもと夫とわたしの日常。喜怒哀楽揺れる日々、言葉にならない思いを徒然なるままに。

5人の子どもと夫とわたしの日常。喜怒哀楽揺れる日々、言葉にならない思いを徒然なるままに。

5人の子と、“ツレウツ”な夫と、わたし。
心の揺れ、葛藤、理想、よろこび――日常にあふれる、言葉にならない思いたちを、まるごとメモしています。
整ってないけど、うそはない。生まれたての気持ちを、そのままここに置いています。

新春の新聞の特集。

「なんとなく感じていること」の言語化がされている感覚が毎年ある。

今年は
「ともしび わたしのよりどころ」



2023/01/07
今朝の記事は特に気になった。

対立を避けることがいい、
その場の空気を保つ方がいい、
空気を読む、
受け入れられるようには?を考えて行動する…とか

人間関係の極意のように
教わってきた昭和平成の世代。

ぶつかり合うこと=ダメ

だという風に思っていた。


わたしも…
できるけど、
ある程度までしかできなくて、
最後は疲弊し、その場から去る…

を繰り返してきたなぁと思う。

本当は知っている…

自分の思いをぶつけ合うことで関係性が深まるってこともあること。

しかもそれは雪解けのように
お互いを許し、受け入れあえるような…
予想外の展開になっていくこともある。

だけど、
そうするにはリスクが高すぎるし、


「自分」を出さないことが美徳だという意見を取り入れて、
苦しくなっていたなと思う。


『選んでもらうために
自分の悪い面は見せられないとなると、
誰かと一緒にいる時間は楽しいんだけど、疲れてしまう。輪から外れたときにものすごくホッとするという状態が出てきました。』
(石田光規さん)

これ、わかる人いるよね。

個人が尊重され、
人は「ひとり」になりやすくなり、
逆に「孤独」も感じやすくなっている。

だけど
やっぱり、つながりもほしい。

ただそのつながりは
強制されるようなものだとうんざりするし、
ある種のカテゴリーに属している場合は
自分の弱みを見せられなくなって居心地が悪くなることもある。

緩やかに、かすかにつながり、
時々、ふと立ち寄れるような関係がほしかったりする。

まぁ、要は
飾らない自分でいられる場所っていうのは

いつの時代も
誰もが欲しているものなのかもな。

親子でもなく、親戚でもなく、ご近所でもなく、友達でもなく、同僚でもなく…
「なんと表現していいかわからない」関係が
心地いいと感じることも
あるよねぇ。

自分の肩書き、全部を取っ払うことができるところ、
「隠れ家」

お忍びで通える隠れ家。

わたしにとって、それはあるのかな?と思うけど、
あるんだよなぁ。


そして思う、
隠れ家になりたいな…とも。