ちょっと吐き出したくなったのだけど、SNSで吐き出すのは少し抵抗があったので、この記事にまとめてみようかと…。
一見、タイトルは重めですが、全く重くもなく、非常にくだらない中身のない記事になりそうです。
あまり普段から死にたいとか希死念慮を持つことは全くないのだけど、時々フッと出て来る感情がある。
「死んだ方がいいのかな?」
↑コレ…
もちろん死にたい訳ではないんです。
人生を終えたい訳ではないんです。
でも、この感覚は時々に顔を出す。
しかも決まって顔を出すタイミングというのが、仕事とプライベートの両立が上手くいってない時。
どちらかと言うと仕事の比重が重いと感じた時。
2年くらい前まではシフトの仕事をしていた訳だけど、正直言って世間の連休や長期休み中は、ずっとコレとの戦いでした。
今だと、新型コロナウィルス大流行の影響で自粛や不要不急の外出をしないようにと言う風潮がある中なのがデカいのかな。
(貰ってきたくない&仮に自分が保菌していたら人に迷惑をかけたくないと言う第一前提があるので、ある意味で自己管理だし、自分がその道を選択してるので文句言えるお話ではないのだけど…)
・外食もできないし行楽地や野球観戦、娯楽の堪能もできない。
・大好きな人達と会うこともできない。
・そのくせ仕事は毎日のように通勤電車に乗ってリスクとの狭間で通っている。
(今の仕事がテレワークで出来る仕事ではないため)
・自分は自粛してるのに周りでは平気で遊びまわってる人間もいる。
これらが多くのストレスになってきている。
じゃあストレスになるなら自分も感染覚悟で遊びに行けばいいじゃん!
外食すればいいじゃん!
それで仕事とプライベートの両立が図れるなら実行しちゃいなYO!
と言う意見を持ってる方もいると思うし、実際にそうすれば良いのかなと思った事もある。
でも、その気持ちよりも先に一瞬、顔を出すのが「死んだ方がいいのかな?」なのだ。
大事なことなので2回言うけど…
もちろん…
自殺願望がある訳でもなければ、希死念慮がある訳でもありません。
じゃあ、なぜにそんな感情が湧くのかというと…
実はこの曲のワンフレーズが大きく左右してるのだと思う。
海援隊の有名な曲、「母に捧げるバラード」のこの部分。
えぇ、言葉の切り取りにも程がありますね。。うん。
(鉄也に怒られるねw)
でも、初めてこの曲を聴いた時に、ここのフレーズが妙に印象に残ったんだよね。
海援隊のボーカルの武田鉄矢さんと言えば、ドラマ3年B組金八先生の坂本金八役でも有名な俳優さん。
因みに私が中学3年生の時は、第5シリーズの年でしたw
(風間俊介さんや亀梨くんが出てた時のヤツね)
金八先生と言えば、イジメが起きた時や命を蔑ろにするような「死ね!!」などの言動や行動をする生徒には容赦なく叱りつけ、時には涙と鼻水を飛び散らせながらも生徒を説くシーンも多い。
でも、海援隊の曲ではこうもサラリと歌詞に「死ね!!」って言葉を用いるからこそ、そのギャップにも印象的なフレーズだったのかと思う。
じゃあなぜにこの死ねって言葉と、自身に顔を出す「死んだ方がいいのかな?」と言う感覚がリンクするのかと言えば、恐らく20代の頃の自分の人生から来てるのだと思う。
自業自得によるものや会社都合(倒産寸前の火の車だったり買収による消滅)だったり、最終的には体調崩して強制終了と、20代の頃には転退職を繰り返してきた過去。
働き始めて辞めるまでにもっても2年前後…
少なくとも仕事の面では違った意味で苦しんできたし、涙を流してきました。
そんな自分が30の時に今の会社に入って、今年の9月で丸7年。
どこかであの満足に働けなかった時の苦しみや苦労、屈辱を置き忘れてるような気がして、仕事の比重が高くなった時に不平不満が頭に過ぎると、1人の自分が「もう死んだ方がいいのかな?働けることに感謝できなくなったら終わりだな…」と囁いてるように感じてくるのだ。
それが、この記事に書いた「死んだ方がいいのかな?」の所以。
でも、この気持ちが出て来ると必ずもう1人の自分がこう問いかけて来るんですよね。
(現在2021年8月24日)
8年前の自分にそれを言えるのか?
それを言ったらどうなるだろうね?
8年前に一歩間違えてたら、人生終えてたかもしれないし、意図とせずに人様を殺してたかもしれんのだよ!!
そう問いかけると我に帰る。
8年前の自分にそんなことを言ったら、8年前の自分は今の自分をきっと侮蔑の目で見るだろう…
8年前についての記事はこちら。
この経験があるからこそ、命は大切にしなければいけないものであるし、大切にしていきたいもの。
希死念慮でもなければ死にたいと思わないのも、この時の事があって生きるための命を繋ぐことができたからだと思う。
そう思うと、過去の自分とまだまだ仲良くなりきれてないのかもしれないね。
過去の自分を受け入れてるようで受け入れきれていないのかもしれない。



