伊那谷セラピー相談室の澤です。
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5月13日(木)の長野日報に、お店オープンの取材をしていただき新聞記事になりました。
記者の方は丁寧に話を聞いてくださり、それを端的でわかりやすい文章にまとめてしてくださり、流石プロの物書きだなと関心しております。
取材の中で、「どうしてセラピストになろうと思ったんですか?」とご質問をいただきました。
確かに普通に人生を過ごしていく中で、「よしセラピストになろう!!」なんて思う人の方が稀ですし、私自身も元々は会社勤めのサラリーマンでした。
きっかけは2つあり、1つは吃音で悩んでいたこと、もう1つは腰痛治らなかったことです。
過去に散々ブログでそのことはネタとして書き、人にもたくさん話し、消化された過去のことなので、ここ数年は話す機会はあまりありませんでした。
でも、新聞記事を見た長野の人が、新たにブログを見てくださっている可能性もあるので、久しぶりに書こうと思います。
今回は少し長いブログになるかと思いますが、まずは私と吃音について書いてみようと思います。

まず吃音とは吃り(どもり)のことで、自分が言いたい言葉が胸に突っかかってしまい、声が出てこない病気?症状?です。
詳しいメカニズムは医学でもわかっていないそうですが、私の場合は気道の蓋がしまったような感覚になり、そこから音が出てこないような感じです。
昔テレビドラマでよくやっていた裸の大将の山下清みたいに、「あ、あ、あ、あ、あの~」とか、「おおおおおおにぎりが、たたた食べたいんだな」とか、まさしくあの感じです。
吃音の世界では、連発、難発だとか言われています。
僕の場合は、吃るのが恥ずかしかったので、言葉が出ないなと思う時は話さないようにしたり、聞こえない振りしたり、違う言葉を言い変えたりしていました。
きっかけは中学校のときです。友達から吃っていることを指摘されて、そこで自分の話し方を変に意識してしまい、一気に酷くなりました。
話すという当たり前の行為が当たり前でなくなる。
誰に相談することもできず、その正体もわからないままです。
授業中、答えを言わなくちゃいけない場面でも、正解の言葉がでないと思ったら、出やすい言葉を選びわざと間違ったりしていました。
中学、高校の生活はノリで何とかなりましたが困ったこともありました。
アルバイトで電話を取る際に、店名を発すること出来なかったり、「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」が言えなかったり、
「何で、こんな簡単なことができないんだろう・・・」と悔しい思いをしました。
電話越しに、「なんか店員さんの話し方が変なんだけど」なんて言われたこともありました。
でも愛想だけは良くしようと心掛け、そして仕事は休まずに真面目にしていたので、怒られたり、クビになったりはしませんでした。
いま思うと、周りの人はどんな風に思っていたんだろうな・・・と考えます。
当時はインターネットもそんなに普及しておらず、スマホもなかったので、自分の症状が吃音という名前であることさえも知りませんでした。
社会人になってからは、仕事で支障をきたして色々と大変でした。
電話に出れない、名刺交換で社名を言えない・・・、報告の際に上司に上手く伝えることができない、人前での発表、朝礼など簡単なことが出来ない辛さがありました。
事務所で電話が鳴ると怖くてビクビクし、部屋にいるのが怖くなっていました。
電話番の事務員のお姉さんが居なくなったり、忙しくしていると若手の私が出なくちゃいけないのですが、吃るのが怖くて結局1回も出ることができませんでした。
ノリだけで過ごせた学生時代とは異なり、逃げることができませんでした。
吃音であることが重く圧し掛かり、その悩みが1日の大半を占めていました。
ですが、誰からも責められることもなかったので、周囲の人は私が電話がよほど苦手なんだと思い、気遣ってくれてたのかも知れません。
23歳が人生で一番辛い時期でした。
その当時、実家の家庭環境も最悪な状況で、父親が仕事をしなくなって数年経ち、そして実情は知りませんでしたが、目に見えてお金はないことは分かりました。
父親は昔のたくましい姿の面影もなく、うつ状態で、1日中家に引きこもり、ただただテレビだけを見ているような状態でした。
会社では吃音で悩み、家では家族のことで悩み、あまり良い思い出はありませんでした。
しかし、そんな私が大阪から東京に転勤となり、生産技術から営業部署へと移動となりました。営業といってもクレーム対応で、お客様の自宅に訪問して謝罪し説明する内容でした。
言葉さえ流暢に話すことはできなかったですが事務所で電話取るという機会もなくなり、大半が外回りだったので、ストレスはかなり低減しました。
クレーム現場でのお客様への謝罪と説明も、低姿勢さと愛嬌の良さ、そして当時は今よりもうんと若くて爽やかだったんので、雰囲気で乗り切ることができました。
あと、個人的に東京で出会う人は優しい人ばかりで恵まれていました。
1年間で150件くらいクレーム現場に出歩くのですが、トラブルを起こしたことがなく、上司の評価も上々で、やっと自分が活きる仕事が見つかったと喜んでいました。
初めての東京暮らしと、実家から離れられたということもあり、気持ちは上がっていましたが、やはり吃音であることはネックであり、部署が変われば元の木阿弥になることは分かっていました。
吃音なので出世はできないだろうし、そして不安定な家庭環境だったので結婚して家族を養うなんて考えられませんでした。目を背けたくても、それらのことが自分に重く圧し掛かっていました。
どちらかだけならまだしも、2つを背負うのは辛かったです。
そんな時、たまたま電車で横に座っていた人の読んでいる本が目に止まり、そこに「吃音」の文字がありました。心臓がバクバクと反応したのを未だに覚えています。
吃音に目を向けたくない、直視したくないと思っていましたが、どうしても気になってしまいタイトルを盗み見てその本を買ってみました。
重松清さんの「きよしこ」というタイトルの小説でした。
吃音の少年が主人公の本で、作者の重松清さん自身が吃音者であり、その実体験を元に書かれたそうです。吃音という言葉から逃げていましたが、久しぶりに向き合う瞬間でした。
そんな時、mixi(今でいうフェイスブックみたいな)というSNSで、吃音のコミュニティがあることを知り、吃音者のオフ会が近所でその週にあることを知りました。
ドキドキしながら参加ボタンを押し、そして緊張しながら参加しました。
自分以外の吃音者と会うのは初めてでした。
参加者は吃音であるということ以外は普通で、ただの集まりにしか見えませんでした。
ですが、吃音者だからこそ分かる、料理を注文する際の言葉の詰まり、会話の中で言葉が出て来るまでの独特の間がありました。
皆、やっぱり同じような感じなんだなと知ることができました。
オフ会も終盤に差し掛かったころ、隣に座っていた若くてお洒落な男の子が、私よりもよほど大変そうな吃音者でした。
彼は、「僕は本当はアパレルの仕事をしたかった」。でも、吃音が酷くて人と上手く話せないから、人と話さない工場で仕事をしていると、泣きながら私に話してくれました。
そして、「君は吃音者だけども前向きだ。だから僕の分まで頑張って欲しい・・・」そんなようなことを伝えられました。
全ての言葉を言い終わるまでに長い時間を要し、何度も突っかかりながら伝えてくれました。彼の名前や顔は忘れました。しかし、その時の印象が今でもとても深く私の中に残っています。
頑張ろう。治せるなら頑張って治そう。
深く自分に誓いました。
電車で隣に座った人の本を覗き見てからオフ会に参加するまでの一連の流れが、何かに誘われているような気がしました。
私は目を背けていた吃音の改善に取り組もうと決心しました。
でも実は過去に、二度失敗しているので取り組むには勇気が必要でした。
失敗すると、やっぱり治らないんだ・・・という気持ちが埋め込まれてしまい、向き合わない方が、「いつか奇跡が起きて治るかも知れない」という希望を持ち続けることができます。
吃音で一番悩んでたころなんて、どこかで事故でもして強く頭を打って、それがきっかけで治らないかな・・・なんて真剣に考えていました。
初詣に神社に行っても、「吃音が治りますように」しか願ったことありません。
過去の失敗は情報商材でした。
詐欺に近いような内容の薄いものでしたが、一縷の望みをかけて一生懸命取り組んで挫折したことがあります。
ですから、次は人からキチンと受けようと思っていました。そして、またまたmixiで吃音専門カウンセラーと連絡を取り、そのプログラムを受けることになりました。
プログラムは100日間。
相手は秋田県に住む50代?60代のオジサンで、本名すらも知らない人でした。mixiネームが「槍投げ」で「黒猫」のプロフィール写真でした。
いま思うと、よくそんな怪しい人に15万円も払ったなと思いましたが、一連の流れもあり、私も藁をも掴む思いで必死だったんでしょうね。
私は東京在住で相手は秋田なので、直接会ってのカウンセリングはできず、内容としてはメール、電話、そして1日1回課題がでるような感じでした。
13、14年前の話ですが、いま考えるとオンラインを先取っていましたね。
人生で初めてのカウンセリングです。私にとっては、吃音のことを一緒に向き合ってくれる人がいることが嬉しかったです。
ずっとバレないように隠していたものを誰かに打ち明け、そして悩みを共有してもらえる。その時間があることの有難みを知りました。
そのような経験は、セラピストになってからの経験に活かされていると思います。

カウンセリングは途中から家族のこと、特に父と祖母に対する憎しみの感情を扱うようになり、吃音の原因となった家庭環境を深く扱うようになりました。
小学校の時、家庭内での酷い喧嘩が毎月のようにありました。
親戚が仲裁に入らないと収まらず、喧嘩は長く続き、夜に祖母が奇声をあげたり、家の外まで声が漏れるくらい叫び、扉が壊れるぐらい強くバンっと閉めたりと大きな音にビクビクしていました。
小学校から帰宅した私に一緒に死のうとガス栓を回されたり、それが嫌とか怖いとか、辞めて欲しいとは言えず、そういうのが吃音に繋がっているんだと思いました。
1年間で150件くらいクレーム現場に出歩くのですが、トラブルを起こしたことがなく、上司の評価も上々で、やっと自分が活きる仕事が見つかったと喜んでいました。
初めての東京暮らしと、実家から離れられたということもあり、気持ちは上がっていましたが、やはり吃音であることはネックであり、部署が変われば元の木阿弥になることは分かっていました。
吃音なので出世はできないだろうし、そして不安定な家庭環境だったので結婚して家族を養うなんて考えられませんでした。目を背けたくても、それらのことが自分に重く圧し掛かっていました。
どちらかだけならまだしも、2つを背負うのは辛かったです。
そんな時、たまたま電車で横に座っていた人の読んでいる本が目に止まり、そこに「吃音」の文字がありました。心臓がバクバクと反応したのを未だに覚えています。
吃音に目を向けたくない、直視したくないと思っていましたが、どうしても気になってしまいタイトルを盗み見てその本を買ってみました。
重松清さんの「きよしこ」というタイトルの小説でした。
吃音の少年が主人公の本で、作者の重松清さん自身が吃音者であり、その実体験を元に書かれたそうです。吃音という言葉から逃げていましたが、久しぶりに向き合う瞬間でした。
そんな時、mixi(今でいうフェイスブックみたいな)というSNSで、吃音のコミュニティがあることを知り、吃音者のオフ会が近所でその週にあることを知りました。
ドキドキしながら参加ボタンを押し、そして緊張しながら参加しました。
自分以外の吃音者と会うのは初めてでした。
参加者は吃音であるということ以外は普通で、ただの集まりにしか見えませんでした。
ですが、吃音者だからこそ分かる、料理を注文する際の言葉の詰まり、会話の中で言葉が出て来るまでの独特の間がありました。
皆、やっぱり同じような感じなんだなと知ることができました。
オフ会も終盤に差し掛かったころ、隣に座っていた若くてお洒落な男の子が、私よりもよほど大変そうな吃音者でした。
彼は、「僕は本当はアパレルの仕事をしたかった」。でも、吃音が酷くて人と上手く話せないから、人と話さない工場で仕事をしていると、泣きながら私に話してくれました。
そして、「君は吃音者だけども前向きだ。だから僕の分まで頑張って欲しい・・・」そんなようなことを伝えられました。
全ての言葉を言い終わるまでに長い時間を要し、何度も突っかかりながら伝えてくれました。彼の名前や顔は忘れました。しかし、その時の印象が今でもとても深く私の中に残っています。
頑張ろう。治せるなら頑張って治そう。
深く自分に誓いました。
電車で隣に座った人の本を覗き見てからオフ会に参加するまでの一連の流れが、何かに誘われているような気がしました。
私は目を背けていた吃音の改善に取り組もうと決心しました。
でも実は過去に、二度失敗しているので取り組むには勇気が必要でした。
失敗すると、やっぱり治らないんだ・・・という気持ちが埋め込まれてしまい、向き合わない方が、「いつか奇跡が起きて治るかも知れない」という希望を持ち続けることができます。
吃音で一番悩んでたころなんて、どこかで事故でもして強く頭を打って、それがきっかけで治らないかな・・・なんて真剣に考えていました。
初詣に神社に行っても、「吃音が治りますように」しか願ったことありません。
過去の失敗は情報商材でした。
詐欺に近いような内容の薄いものでしたが、一縷の望みをかけて一生懸命取り組んで挫折したことがあります。
ですから、次は人からキチンと受けようと思っていました。そして、またまたmixiで吃音専門カウンセラーと連絡を取り、そのプログラムを受けることになりました。
プログラムは100日間。
相手は秋田県に住む50代?60代のオジサンで、本名すらも知らない人でした。mixiネームが「槍投げ」で「黒猫」のプロフィール写真でした。
いま思うと、よくそんな怪しい人に15万円も払ったなと思いましたが、一連の流れもあり、私も藁をも掴む思いで必死だったんでしょうね。
私は東京在住で相手は秋田なので、直接会ってのカウンセリングはできず、内容としてはメール、電話、そして1日1回課題がでるような感じでした。
13、14年前の話ですが、いま考えるとオンラインを先取っていましたね。
人生で初めてのカウンセリングです。私にとっては、吃音のことを一緒に向き合ってくれる人がいることが嬉しかったです。
ずっとバレないように隠していたものを誰かに打ち明け、そして悩みを共有してもらえる。その時間があることの有難みを知りました。
そのような経験は、セラピストになってからの経験に活かされていると思います。

カウンセリングは途中から家族のこと、特に父と祖母に対する憎しみの感情を扱うようになり、吃音の原因となった家庭環境を深く扱うようになりました。
小学校の時、家庭内での酷い喧嘩が毎月のようにありました。
親戚が仲裁に入らないと収まらず、喧嘩は長く続き、夜に祖母が奇声をあげたり、家の外まで声が漏れるくらい叫び、扉が壊れるぐらい強くバンっと閉めたりと大きな音にビクビクしていました。
小学校から帰宅した私に一緒に死のうとガス栓を回されたり、それが嫌とか怖いとか、辞めて欲しいとは言えず、そういうのが吃音に繋がっているんだと思いました。
小学校の授業中に遠くてサイレンの音が聞こえると自分の家が燃えてるんじゃないかと心配していました。
カウンセリングを受けて、随分と気持ちの変化がありました。
内側にあるものを自分だけで留めておかずに、誰かに話すことの大切さを知りました。
そしてプログラム終盤には、吃音であることを、家族、職場、友人などの身近な人にカミングアウトする、そして今現在治療中であることを伝えるというワークがありました。
私にとってカミングアウトするなんてあり得ない選択でした。
そんなことするくらいなら途中で辞めますと伝え、1日2日プログラムは中断しました。結局は私の方が折れて手紙で伝えることになりました。
週末や仕事帰りにはルノアールで缶詰めとなり、15人ぐらいに手紙を書きました。ポストに投函する際に、やっぱり破り捨てようかと何度も思いました。
吃音者であることをバレるなんて、自分にとってはあり得ないことです。
変な人だと思われないか・・・
惹かれないか・・・
返事が来なかったらどうしよう・・・
心配させちゃうんじゃないか・・・
心配で、嫌で、バレたくない。そんなことを考えていましたが、絶対に変わるんだと思い勇気を持って投函しました。
そこから数日はドキドキです。
後悔しかありませんでした。
しかし数日後、次々に電話があり、そして手紙が届きました。
友達からは、
「頑張れよ!応援している!」
「気付いてあげれなくてゴメン。」
「何かあれば相談乗るから!」
そして、関係の良くなかった父親からは、
「俺とおばあちゃんのせいで悩ませてしまい申し訳なかった。」
と涙ながらの謝罪がありました。
思いもしない反響、そして色々な人からの励ましで涙が止まりませんでした。
その翌日、朝起きて駅に向かう道中で、あきらかに世界が変わっているような感覚がありました。
心が癒される。
そして感情が解放される。
長い時間、沈殿してものが洗い流され、クリアになっている感覚がありました。
人って変われるんだ。
カウンセリングって凄い。
吃音の症状もかなり改善しました。
カウンセラーのおじさんとしては、完ぺきに良くなって欲しかったそうですが、私にとっては十分すぎる成果でした。
その後、父親自身も行動を起こし、借金を法律事務所に相談したところ過払い請求が認められて、1000万近くあった消費者金融の返済がなくなり300万円ほど還付されました。
自分が変わるだけで、周りの人の人生も変わるんだ・・・ということを感じ、この体験を活かして自分もカウンセラーになりたいと思うようになりました。
それが24歳ぐらいの時の話で、今からは13年前の出来事ですね。
もう随分と遠い昔のように感じますね。
こんな風にブログを書いても、込み上げてくる感情もなく、今では1つの思い出話にしか過ぎません。
その経験をバネにし、散々燃料にしたので、今では燃え尽きた薪のような感じです。
カウンセリングを受けて、随分と気持ちの変化がありました。
内側にあるものを自分だけで留めておかずに、誰かに話すことの大切さを知りました。
そしてプログラム終盤には、吃音であることを、家族、職場、友人などの身近な人にカミングアウトする、そして今現在治療中であることを伝えるというワークがありました。
私にとってカミングアウトするなんてあり得ない選択でした。
そんなことするくらいなら途中で辞めますと伝え、1日2日プログラムは中断しました。結局は私の方が折れて手紙で伝えることになりました。
週末や仕事帰りにはルノアールで缶詰めとなり、15人ぐらいに手紙を書きました。ポストに投函する際に、やっぱり破り捨てようかと何度も思いました。
吃音者であることをバレるなんて、自分にとってはあり得ないことです。
変な人だと思われないか・・・
惹かれないか・・・
返事が来なかったらどうしよう・・・
心配させちゃうんじゃないか・・・
心配で、嫌で、バレたくない。そんなことを考えていましたが、絶対に変わるんだと思い勇気を持って投函しました。
そこから数日はドキドキです。
後悔しかありませんでした。
しかし数日後、次々に電話があり、そして手紙が届きました。
友達からは、
「頑張れよ!応援している!」
「気付いてあげれなくてゴメン。」
「何かあれば相談乗るから!」
そして、関係の良くなかった父親からは、
「俺とおばあちゃんのせいで悩ませてしまい申し訳なかった。」
と涙ながらの謝罪がありました。
思いもしない反響、そして色々な人からの励ましで涙が止まりませんでした。
その翌日、朝起きて駅に向かう道中で、あきらかに世界が変わっているような感覚がありました。
心が癒される。
そして感情が解放される。
長い時間、沈殿してものが洗い流され、クリアになっている感覚がありました。
人って変われるんだ。
カウンセリングって凄い。
吃音の症状もかなり改善しました。
カウンセラーのおじさんとしては、完ぺきに良くなって欲しかったそうですが、私にとっては十分すぎる成果でした。
その後、父親自身も行動を起こし、借金を法律事務所に相談したところ過払い請求が認められて、1000万近くあった消費者金融の返済がなくなり300万円ほど還付されました。
自分が変わるだけで、周りの人の人生も変わるんだ・・・ということを感じ、この体験を活かして自分もカウンセラーになりたいと思うようになりました。
それが24歳ぐらいの時の話で、今からは13年前の出来事ですね。
もう随分と遠い昔のように感じますね。
こんな風にブログを書いても、込み上げてくる感情もなく、今では1つの思い出話にしか過ぎません。
その経験をバネにし、散々燃料にしたので、今では燃え尽きた薪のような感じです。
もう、そこからエネルギーや活力を貰うことは出来ません。
しかし、その経験があるから今の私があることは間違いありませんし、
人に言えない悩みを抱える辛さや、それを人に共有する大切さは感覚として残っています。
そこで興った火を、今でも大切に育んでいるように感じます。
それがセラピストを志そうと思った、「吃音とカウンセリング」の話です。
新しい土地での新しいスタートなので、初心を思い返すために書いてみました。ここ最近は初心の気持ちを忘れていたので、新聞で記事になったのが良いきっかけでした。
そして次に、「腰痛とキネシオロジー編」へと繋がります。
誰も次回に期待していないかも知れませんが、また時間ある時に書いてみようと思います。
過去に吃音のことを書いたブログです。
・梅干しと言えない
日本で初めて吃音矯正が行われたのが私の住む高遠町でビックリでした。
・吃音治療のルーツに出会う
すごく長いブログでしたが、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
伊那谷セラピー相談室の澤でした。

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新しい土地での新しいスタートなので、初心を思い返すために書いてみました。ここ最近は初心の気持ちを忘れていたので、新聞で記事になったのが良いきっかけでした。
そして次に、「腰痛とキネシオロジー編」へと繋がります。
誰も次回に期待していないかも知れませんが、また時間ある時に書いてみようと思います。
過去に吃音のことを書いたブログです。
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すごく長いブログでしたが、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
伊那谷セラピー相談室の澤でした。

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