リーマン・ブラザーズに入社する
前年(つまり1996年)の夏
東京でリーマン・ブラザーズのレセプションに呼ばれました。
以前勤めていたドイツ銀行での実績を評価してくれて
リーマン・ブラザーズの複合商品担当者が
私に興味を持ってくれたのです。
ほんとに嬉しかったですね。
有難いことに
その時のご縁があったおかげで
後にリーマン・ブラザーズにお世話になるわけですが
そのレセプションの繋がりで
リーマン・ブラザーズのXXXX部の部長のMさんから
東京アメリカンクラブでの昼食に誘われたことがあります。
そのアメリカ人弁護士のMさんは非常にプライドが高い人で
日本の金融行政の話になった時も
金融庁と大使館にパイプがあるから
少しくらいグレーな取引もギリギリ大丈夫
と自信満々でした。
(当時確かに、日本の証券会社では許されない取引を
外資系(特に米系)証券会社が行っていても
外資系証券会社に対して検査は入らない
というおかしな思い込みがありました)
しかし、このおかしな思い込み
(当時の金融市場での常識)
を根底からひっくり返す事件が2年後に起きます。
(Mさんは既に東京を去っていましたが)
実は、ある出来事からこの事件にまつわる記憶がよみがえり
前回「今は昔、リーマン・ブラザーズとうい会社がありました」
というブログを書き始めたのです。
そのブログで「本題」と言っていたのがこの事件です。
(⇓こちらがそのブログです⇓)
https://ameblo.mom/kindspacetime/entry-12356774683.html
入社してからその事件の時までに起きた
様々なエピソードはいつか書くとして...
私のリーマン・ブラザーズでの仕事はとても順調でした。
東京に戻り
複合商品を開発する部隊を率いていました。
英国人の数学博士
韓国人のロケット工学博士
日本人の理論物理修士
日本人の建築学修士
等々、
部下は私より優秀な人ばかりでした。
その中に
日本人の慶応大学卒のH君がいました。
彼だけが、大学院経験のない学卒でしたが
私の中ではH君は本当に優秀な部下でした。
ある朝、タクシーに乗っている私にH君から電話が来ます
渋谷の自宅から六本木通りをタクシーで移動中でした。
H君 「いらっしゃいました」
私 「む? 誰がですか?」
H君 「金融庁です。阿部さんのデスクに直行しました」
私 「何人ですか?」
H君 「20人くらいです」
私 「わかった...。すぐ行くから...。 (間) よろしく...頼む」
何をどうやったら
「よろしく」できるのか
まったくわかりませんでした。
そして
そんな言葉しか伝えることができませんでした。
長くなるので、またここで一息いれさせてもらいます。
こんな修羅場、あんな修羅場とありますが
あとで思い出してネタにすればいいだけだと思えば
今の修羅場も違って見えますね。
LINEでつながりませんか?
カインドスペースタイムがすぐ役立つ情報をシェアしています。
@kindspacetime
「気持ちいいから」と嘘を言って
ネタのために標高4250メートル厳寒の湖を泳いだこともある

そしたらほんとに気持ちよかった。