第1225話


神仏の声を聴いて
皆様にお届けしています
菊水千鳳
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の続きです。


続いて、鎮魂の儀
第2ラウンド開始です。

ご協力してくださった神仏など、
儀にご参加される視えない存在の方々の霊視を始めました。


まず、お越しになられたのは
アイヌの神々(カムイ)ダイダラボッチでした。
(※神々など超自然的な存在のことを、
アイヌではカムイといいます。
ダイダラボッチとは巨大な体を持つ自然霊です。)


カムイ & ダイダラボッチ
【山や 海や 川や 大地
全てを司(つかさど)る我ら一同

ここにありて  願わんと欲(ほっ)するは
北海道の島を守り抜くこと

このことに他ならぬ】


カムイや ダイダラボッチは
みんな頭(こうべ)をたれていました。
(※俺の前に現れてくださるダイダラボッチは人の形にも視えます。)


カムイの代表のどなたか
【事(こと)  すみやかに行使(こうし)されることは ない、

とは思うが 
あたり一面 凄惨な光景を目撃したくはない


欲(ほっ)するは  民の平和
民の喜ぶ笑顔

そして 自然の振る舞うところを大事とすべし

調和を保(たも)たれている島であると
確信している


かれこれ 我らは
長きにわたり アイヌの信仰する神
またの名を カムイ
同じ意味である
として 暮らしてきた


だが 当時の侵略者  この場合 幕府である
幕府によりて
我ら一同  根こそぎ刈り取られたようなものであった

震え  おののくも 瞬く間に虐げられ 追いやられ
奈落の底へと突き進んでいった

たかが 肌の色が異なり 毛むくじゃらで 人ともおぼつかない 容貌(ようぼう)であっただけのために
我らを不幸のどん底に追いやった

許すまじとは思っておった

いまだに積年の恨みをもつアイヌもおる

その怒り
今はほぼ 忘れかけている

これから先はきっと
民に愛され
よき友として 我らアイヌを受けいれてくださることであろう

さすれば 我らカムイも
幅広く認知され 楽しみも増えてくるだろう


そんな矢先のことである

心配は ただ事ではない

これよりさらなる親交(しんこう)を深める様子であった

もう二度と  我らカムイは
地に落とされたくはない

我らの同胞(どうほう)がしかけてしまったこと
深くお詫び申し上げる(※)

信頼すべきは
我らを裏切った民のほうである

逆を願ってしまったのだ

あの国にではなく
この国のために
してほしかった


ここで詫びても仕方あるまい

(万が一にも)大きな戦争になる前に
是非ともこの祈りを届けてほしかった】


(※)については、2019年に アイヌの団体の方々が、ロ○アのプーチン大統領宛に、北海道を占領統括して、一帯をアイヌの自治州(区)にしてほしいといった旨の要望書を送った経緯によります。


時事ニュース
togetterより



このあと、北海道の地主神や オオクニヌシさんからもメッセージが続きます。




~〈補足〉~

◇カムイとは
(ニコニコ大百科より)

" カムイとはあらゆるものに宿り、人間にはない能力を有し恩恵や災厄をもたらす存在であって、人間(アイヌ)と対比される概念として捉えられている。
たとえば、人間を凌駕する力を持つと同時に毛皮や肉をもたらしてくれるヒグマや、病気をもたらす疫病神…これらはアイヌの人々に「カムイ」と呼ばれ信仰の対象となってきた。
日本語では単純に「神」と訳されることが多く、日本語における神とカムイに同一の起源を求める説もある。

カムイは、普段はカムイの世界(カムイモシリ)に住んでおり、そこでは人間と同様の姿をしているという。
人間の世界(アイヌモシリ)で見られるカムイは仮の姿とされている。

カムイ信仰の特徴的な点として、カムイとアイヌが対等の関係にあることが挙げられる。
そもそも、一般的な宗教において「神」と呼ばれる存在は、人間の力の及ばない事象をつかさどるものであり、基本的に人間の上位に立つと考えられていることが多い。
しかし、カムイ信仰においてはカムイが人間にない能力を有するのと同じように、アイヌにもまたカムイには為し得ない役割があるとされている。
そして、カムイとアイヌとが互助的な関係にあることで、世界が成り立っていると考えられていたのである。"


◇ダイダラボッチとは
(世界大百科事典 第2版より)

" だいだらぼっち,ダダ坊,デイラボー,大太法師などとも呼ばれる伝説の巨人。
関東,中部地方を中心に広く分布している。
この巨人の大足跡とか,その足跡に水がたまってできた沼があると伝えている。
また富士山を背負おうとしたとか,山作りの際にこぼした泥が小山になったとも語られている。
一般に池,沼,山などの生成に関係してこの話が伝えられていることから,もともと天地創造神としての巨人の存在が信じられていたのであろう。
それが信仰の衰退とともに単に大力の持主とか,大男,鬼などのように意識されるに至ったと考えられる。 "



次回に続く。



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