先日、秋分の日が過ぎた。

 

3月生まれなので、これで57.5年強、

人間として生きたことになるのだけれど、

たくさんの時間を、悶々と過ごした。

 

もっと楽しい生き方もあったのかもしれないし、

無駄な時間を過ごしたのかもしれないけれど、

この物語は、そういった事柄のことを考えるよう

宿命づけされているっぽく、

この悶々のおかげで、ようやく少しは

思考のダイナミクスを適切に把握できるようになってきた。

 

もちろん、過去の自分と比べての話なので、

単に自己満足というだけのことなのだけれど。

 

 

・・・

 

 

大切なもの、大切なこと、というのは、

当然それぞれの人によって異なるし、

同じ人であっても、時の経過によって変わったりもする。

 

ACIMなどの思考体系に毒されたこともあって、

わたしは無いとか、世界は無いとか

ほざいたりもしているが、

僕にも未だに大切なものはあるし、

大切なこともある。

 

何を大切にしたか?については、ここには書かないけど、

つまりは、

僕が外的な何かをきっかけにして喜んだ、

ということだ。

 

その喜びをもたらしたように見えるものが、

たまたまソレだったから、

僕はソレを大切に思っているし、

感謝しているのだけれど、

 

この物語において、たまたまソレが鍵だっただけで、

必ずしもソレでなくてもよかった、

と理解している。

 

 

・・・

 

 

僕は、

僕が捏造した美しい物語を見ているように

解釈したりもするのだけれど、

 

美は僕の中に眠っていたものであって、

 

ほんとうのところは、

一瞬たりともそれと離れたことがなかったことを

再認識しようとしているようにも思える。