先日も書いたように、最近は

「人間のやっていること」、「人間のやってきたこと」

という感じの事柄について書いている。

 

それは、Enlightment、

言い換えると、悟りとか、目覚めとか、覚醒ということには

関係のない事柄ともいえるのだけれど。

 

ただ、それを自覚することを、

僕はお勧めしたい気持ちがある。

それは単に、僕自身がそれに気づいたことを

嬉しく思ったからだ。

できれば、それについて共感してくれる人がいると嬉しいのだが、

そこは変に期待しないほうがいいことだろう。

 

・・・

 

存在していないものを見る、と表現したのだけれど。

 

これは言い換えると、

存在していないものを知覚する、という表現のほうが適切だろう。

 

存在していないもの、というのは、

これも色々と表現があるのだけれど。

 

ACIM的なノリでは、罪悪といわれるものが一番代表的だけど、

この表現は、なかなかきつすぎて、

受け入れづらいし、また極端に解釈されがちなのでは、と思う。

 

闇、Darkness、という表現もあるが、

これも何だか恐ろしげなものとして感じられ。

 

僕が表現するとしたら、まずは

不快感とか、嫌悪感とかあたりが、

自然なように思える。

 

宇宙のどこを見渡しても、

そのようなものは見つからないのだけれど。

 

それは、人間の心の中に発見される。

 

それは人間が作ったものだった。

 

そして人間は、それを愛した。

それが大好きだった、ともいえるかもしれない。

 

客観的にみて、

意味の無い宇宙、意味の無い映像から、

存在していない不快感、嫌悪感を生成し、

それを「自然な感情」として知覚する。

 

人間はその感情を、自然で当たり前のもののように捉えるが、

意味の無いところからそれを生み出したのだから、

本当は意図的な捏造だ。

 

それは、理不尽なことなのだけれど、

人間はその理不尽さを愛したように見える。

 

 

 

人間のやってきたこと。

 

僕はどうも、それを見るために、ここにいるようだ。