人間がやっていること、という流れで、
少し思っていることを書きますが...。
この社会では、
合格・不合格とか、適・不適とか、
そういう判定を行うことが、ごく当然に行われています。
ブドウとか、リンゴとかでは、
品種、糖度、産地、銘柄、大きさ...によって、
高級ブランド~二級品~売り物にならずに廃棄、とか。
学校の合否とか、会社の採用とか。
資格検定でいえば、自動車の運転免許とか、
弁護士・税理士・医師のような高レベルな資格とか。
この社会では、そういう事柄を必要としたようです。
何かの基準を設けて、
一定以上の基準に達したものを合格とし、
高い価値を与えたり、何かを行うための許可を与えたり。
僕たちは、そういうやり方で、安心を求めたようです。
・・・
さて、僕のブログでは、
悟りとか、覚醒、目覚めといった事柄に
触れたりするのですが、
そういう事柄に対してはどうでしょうか?
例えば、何かの資格のように、
「悟り検定」とか、「覚醒レベル」とか、
そんなものを作って、
何らかの基準を設けて、テストして、
一定の基準をクリアしたら、
「悟り3級」とか、「覚醒レベル:2A」とか。
そんな制度があったらどうでしょうか?
まぁ、どっかの宗教団体で、
そんなことをやっていたりもしていたようです。
また、スピリチュアルという範疇でも、
マスターみたいな人がいて、
そのマスターが追従者に対して、
「あなたは悟っている」みたいなことを
やっていたりするそうです。
どこのだれが主宰しているか分からない
怪しげな団体が、
悟ったとか、覚醒した等という事柄に対して
判定し、資格を与えるのが不適切だ、
ということであれば。
国家資格 or 試験として、
「悟り検定」とか、「覚醒レベル」のようなものを
作ったらどうだろう?
であれば、適切な評価が行われ、
例えば悟り3級の人であれば、
一定レベル以上の人格・能力が
保証されるに違いない。
・・・
まぁ当然、本気でそんなこと
考えているわけではないですが。
「悟り」とか「覚醒」「目覚め」という言葉に、
僕は何を期待したのだろう?、と
今更ながら思うのです。