少し大げさに見えるタイトルとしてみたのだけど、

それにもそれなりの意味はあって。

 

・・・

 

それは、

僕自身がそのように思いながら生きてきたこともあって、

だから目に入ってくるのだろうけど、

 

自分自身にダメ出しをするとか、

自分自身を受け入れられないという人を、

しばしば見かけるわけです。

 

 

本人がそのことに気づいていたり、気づいていなかったり。

気付いているのに、ひたすら持ち続けていたり。

 

まぁ、僕もそんなことをしてきたし、

いまでもふと気づくと、「またやってたな」ということもあるし。

 

人のブログを読んでいると、飽きるぐらいに目につくのに、

自分のことには気づかない。

まぁ、そんなもんだ(笑)

 

 

今の私は××でないから、

××にならないければならない、

みたいなロジックは、

それはそれでこの世界で生きる中で、

ある程度有効に機能していたのでしょうけど、

どこかに限界があり、いずれは終わるもののようです。

 

・・・

 

不完全なように見えた私、私の人生を、

完全にしなければならない。

 

天国には善人でなければ行けないから、

努力して善人にならなければならない。

 

誰がそのような基準・ハードルを決めたのか、

あまりそういう点は自覚していなくて、

単にその人がそのように思い込んだだけなのですが。

 

そんな健気な方のブログを読むと、

「あなたはもう、十分に頑張ってこられましたよ」

と言ってあげたくなるのです。

 

そして、


「あなたのこれまでの人生が

 どのようなものであったにせよ、

 あなたがこれまでの人生で

 何を見てきたにせよ、

 あなたのすぐ横に、

 いつも神が寄り添っていたのですよ。」

 

「あなたはこれまで

 あまり自覚されていなかったでしょうけど、

 あなたの生きたこれまでの日々は、

 神と共に歩んだ日々だったのですよ。」

 

「だから、それでいいんですよ」

 

などと、言ってあげたくなるのです。

#ACIM的な表現だと、神よりも聖霊というのが合うのでしょうけど

 

 

まぁ僕は、宣教師でもなんでもないし、

その人にそう言ってあげられる場所にはいないので、

誰かさんからそう言ってあげてほしいのですけど..(^^;

 

 

・・・

 

 

本当に神と共に歩んだのか?

 

僕がその証拠を指し示せるわけがなくて。

 

それはその人が

   「アーメン」 (確かに)

という言葉と共に、

自らの内にそれを受け入れるもののように思うのです。