僕は、思考実験が好きで。
能力的な限界が低いので、
難しいことはそれほど考えられないのだけれど、
哲学者の気分で、あれやこれやと考えたりしていて。
で、よくやっているのが、
ある命題を思いついたら、
その逆を考えてみること。
命題という表現は少々堅苦しいのだけど、
何かの思い付きとか、
なにげに思ったりしたこと。
たとえば、
「キャベツは高い」
という命題があったら、その反対の
「キャベツは安い」
という言葉を、頭の中で口(くち)ずさんでみる、
ということ。
・・・
で、あるとき、
こういう命題でこれをやってみた。
「わたしの人生には、意味がある」
「わたしの人生には、価値がある」
「わたしの人生は、大切だ」
これを反対にすると、こうなった。
「わたしの人生には、意味が無い」
「わたしの人生には、価値が無い」
「わたしの人生は、大切では無い」
ちょっと、「おぉ~」と思った。
「わたしの人生には、意味が無い」なんて、
そんなことは無い!
..と言いたくなった。
わたしの人生には、意味があるのだ!
わたしの人生には、価値があるのだ!
わたしの人生は、大切なのだ!
そう主張したくなった。
でもそれは、本当なのだろうか?
試しに、ちょっと表現を緩めてみた。
「わたしの人生には、ほとんど意味が無い」
「わたしの人生には、ほとんど価値が無い」
この表現にすると、
少しは受け入れていいかな、
と思えるようになった。
というのも、
僕の目の前のスクリーンに映し出されている光景には
多くの人々が登場していて、
僕はそのうちのほんのひとりであって。
日本の人口で1億人、
世界の人口で70億人?
そのうちのたった一人に、
それほど大きな意味とか価値とかがあるんだっけ?、
みたいな。
そういう見方は、いわゆるこの世的な見方だけど、
例えばスピリチュアルな人だと転生という概念を
受け入れているかもしれなくて、
そういう人の感覚では、
多数の輪廻転生で例えるといいかもしれない。
これまで3000回、転生していたとして、
この人生はそのうちの1つで。
となると、この人生は3000分の1なのだから、
その3000分の1の人生に
どれほど大きな意味とか価値とかがあるんだっけ?、
みたいな。
まぁそんな風に見方で、
この人生にそれほどの意味がないとか、
価値がないなどと見なそうとしても、
実際のところ感情の反発は大きくて。
自分が心地よく感じることが良いことで、
自分が不快に感じることは悪いことで。
悦びや平和の感情・感覚は感じたいけど、
苦しみや悲しみの感情・感覚は感じたくなくて。
自分の人生には意味があって、
自分の人生には価値があって、
自分が心地よく感じることが大切。
不快な地獄に行くのは嫌で、
心地よい天国なら、いくらでも行きたい。
うん、やっぱりどうも、そうなのだ。
・・・
それは真実とは全く関係のない話。
神の愛とは全く関係のない話。
ただただ「そうなんだな」って、
僕が思っただけの話でした。