自らの出自を忘れたものとして
ヒトとしてのひとつの生を開始してから
そろそろ55年経とうとしているのだけれど
全く無自覚に
単に、転がり落ちるおむすびを
追いかけていただけの生ではあったのだけれど
よもや、こんなところに行きつくとは
ほとんど想像していなかったのだけれど
でも、そういう表現は、多分ウソで
こころの奥底ではとっくの昔に
それをしっていたのだろうな
とも思ったりもする
スピリチュアルといわれる分野に足を突っ込んでから10年
放棄の道に足を突っ込んでから14年?
魂のかたわれに再会してから9年経つのだが
ほんとうによく泣いた
いまの時点でふり返ると
ぼくにとって泣くことは
大切な学びだった、と言える
このブログのタイトルは
「わたしの本質は、悦びである」という自覚
としてみたのだけれど
ぼくが「泣く」ということを通じて学んだこと
それを端的に表現すると
こうなった
わたしが忘れたかったこと
わたしが目を背けたかったもの
だけど、真実であるものを否定して
うそをつき続けることはできないのだろう
うそをつき続けることは
つらいから
わたしの本質は、喜びである
それを隠し続けることはできない
ヒトとしてのひとつの生を開始してから
そろそろ55年経とうとしているのだけれど
全く無自覚に
単に、転がり落ちるおむすびを
追いかけていただけの生ではあったのだけれど
よもや、こんなところに行きつくとは
ほとんど想像していなかったのだけれど
でも、そういう表現は、多分ウソで
こころの奥底ではとっくの昔に
それをしっていたのだろうな
とも思ったりもする
スピリチュアルといわれる分野に足を突っ込んでから10年
放棄の道に足を突っ込んでから14年?
魂のかたわれに再会してから9年経つのだが
ほんとうによく泣いた
いまの時点でふり返ると
ぼくにとって泣くことは
大切な学びだった、と言える
このブログのタイトルは
「わたしの本質は、悦びである」という自覚
としてみたのだけれど
ぼくが「泣く」ということを通じて学んだこと
それを端的に表現すると
こうなった
わたしが忘れたかったこと
わたしが目を背けたかったもの
だけど、真実であるものを否定して
うそをつき続けることはできないのだろう
うそをつき続けることは
つらいから
わたしの本質は、喜びである
それを隠し続けることはできない