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コミュニケーションをキャッチボールにたとえられることがよくあります。

キャッチボールは、相手が取りやすい場所へ投球をコントロールする必要があります、だから相手が理解しやすいアプローチを心がけましょう、的な事だと思います。

その前に。

まず、相手がそのボールを受け取る気があるか、相手を見て投げましょうね、というのが意外とあるのかもしれません。

相手が受け取る気がないのに、良かれと思ってアドバイス勝手にしていたり。(あいたたた…耳痛い)

相手との関係性を考えないで、聞いてくれるだろうと思って、重いメールを送ったり、沢山送ったり。長電話したり。

どうしても、という救急な場合は、どうしても感がにじんでいるので、1回くらいなら分かってはもらえるかもしれませんが、でも迷惑な時は迷惑でしょう。

相手が受け取る気があるかを見ないで投げられたボールは、相手にとっては暴投。急に体に当たって、ビックリするし痛い、かもしれない。
ということを、ちょっと頭に置いておく必要があるのかもしれない、と思ったのです。

なのに更に、相手に、痛いしビックリするのでやめてください、と言われて、受け取らなかった!と怒る人もいます。

受け取ってもらえる「はず」、というのはどこから来ているのか。なぜそのことに確信をもっているのか。
これはどんな関係性でさえ、「はず」については考えておく必要があるでしょう。
どんなに親しくても、いつも相手がこちらを見ているとは限らないから。

ごく当たり前のことを再度言いますが、まず、相手が受け取る気があるか、こっちを見ているか、を見てからボールを投げて、キャッチボールは成立します。
私が何かを投げるなら、まず受け取ってほしい相手をちゃんと見なければなりません。

そう、「はず」と言っている人は、相手を見てないんですよね。
じゃあ何をみているのでしょう?
そこも考える必要があるかもしれません。

キャッチボールは成立すればコミュニケーションですし、愛ですが、相手を見ないで投げられたボールは、単なる暴投、我による暴力となりかねません。

この暴投、インターネットが普及するにつれて多く見られている気がしますが、目立ってなかっただけで、昔からあったと思います。

私の場合、振り返ってみると、甘えや独善からの暴投でした。
そして、分かってもらえない、受け取ってもらえない、何故だろう?と、最終的には、私がおかしいの?とまで思っていた時期がありました。

今なら分かります。

私の人格がおかしいとかでなく、まず投げ方がおかしかった。
それよりまず、相手を見てなかったのだと。

コミュニケーションについて苦手だと考える時、技術よりまず、相手をちゃんと見ること、意外と見落としているかもしれませんね。