自分の“ほんとうの望み”を知らないと意味がない? | 感覚派の幸せ&文章講座

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繊細で感性豊かな人がいちばん幸せになれて、生かされる居場所を見つけることや育む言語化サポートもさせていただいています。

 

あらためて、人生

【自分の“ほんとうの望み”を知らないと意味がない】

な~と、感じています。


だって、わからないと、知らないと

やみくもに色んな所へ投資しては


「あ、違った」


と戻ってくるだけだから♪



なんとなく、素敵そうに憧れて、

とりあえず「出せば入ってくる」を信じても


そもそもの方向性が違えば 

それもまた元に戻るだけだから^^



「ええ~~い!」と気前よく出せること、そんな自分に満足して生きるのも

いいけれど

(ある意味、お金を払うことで満足している状態)

たとえ小出しでも、しずかに

「あぁ、それほしいな」と感じるもの。


そんな小さな声こそ道しるべに

生きていくのも悪くない。



もちろん方向性と、ほんとうの望みにそったそれなら

鬼に金棒^^


でも、案外そうではなくて

表面のきらびやかさ だけに目がくらんで

“ほんとうの望み(小声)”とはちがう方を選んでしまいがちなのも

この世のかわいい常。



【お金を払う】ことだけで満足していない?

ほんとうに、ほんとうの本当に「その人のポテンシャル」と「自分の望み」は

方向性は合致している?


「えい!」って払うときの気持ちよさは、一体どこからくるのか。


その空いたスペース、空白に

自分のこころの声を感じていくと

“それがほんとうに欲しいものなのか?”意外と身体でわかってきますよ♪



まだまだ思考で選んでいた時代。

ただただ身体で選んでいく時代。


きっと、DNAに選択肢をあずけられたなら

宇宙が最良の答えをみせてくれ

(そして“受け止め”ないと、

 “受け取る”までおなじような現象が続いたり)

身体がゆるんでさえいれば、もっとすんなりそれらに許可できるのかもしれませんね(^_-)☆



ほんとうの望みに、「上」も「下」もない。

「こういう望みは素敵」

「こういう望みはちっぽけ」と

そこに羅列や上下関係をつくっているのは自分。


【自分にとっての“まっすぐな”望みを生きていこう。】


自分へのジャッジ、

人へのジャッジ、には気をつけていても、案外

“望み”自体にジャッジや上下をつくっているひと、多いんじゃないかな?



ほんとうの望みは、とてもシンプル^^



もちろん、“ほんとうの望み”に辿りつくまでの

プロセスや体験にこそも

意味や意義があるかもしれないけれど。


【時間は、有限。】


遠回りにみえたとしても、

自分の“ほんとうの望み”を知るところから始めていきましょう。



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