長いタイトルですが(笑)
思考で書く文章と、
感性で書く文章。
前者の方が、やはり読みやすくて
きっと わかりやすいのですが、
そして
後者の方が、やはりどこか読みづらく
きっと 一般受けしにくいかもしれませんが
それでも、たとえお一人でも読んでくださる方がいてくださること。
そんな感性100%のときに(こそ)
繋がれるご縁にもあらためて ふと感謝もうしあげます♪
感性100%で生きているときが、自分を生きているとき。
どの人も、きっと
思考を抜いた(超えた)状態でいられるときに
そのままの 本来以上の自分(の何か)が出せているから
その貫くこわさを突き抜けられないと、永遠に自分を生きられない。
ほんとうの、本来の自分も出せない。
これは、ブログだけの話ではなく
リアルでもかなり痛感して
血となり骨となっていますが(笑)。
感性100%って、=その人の本音。
本音を出せない自分から、出せる自分へ変わったときに
まわりの人間関係も グン とかろやかなものに変わって
リアルでも今までずっとずっと欲しかった、尊いご縁にも
急速に恵まれるようになるんですね♪
自分のあり方や、波長(波動?)がやわらかなものに変わると、
自分のほんとうの本音に気づけていくし
なぜか
まわりも、自分に対して
打ち明け話を今まで以上にしてくださるようになったり、
とてもストレートに、思いを伝えていただけるようになったり、
“もうちょっと”深い部分から
人間関係を築いていけるようになるもの♪
それが、いま本当に
やさしくて、あたたかくて、ささえで、
「あぁ、ずっとずっと欲しかったものって、コレだったんだなぁ~」と
また自分の本音に応えていけることで、
ほんとうの意味で “自分を大切にできている” 実感にも
包まれ出していきますね。
自分(の感性、感覚、本音)に、ウソをつかない♪
文字にするとカンタンなのに、
とてもシンプルなことを、なぜか人は思考で複雑にしてしまう…(笑)
なんか、「考えている」「(あれこれ)悩む」ことが
=頑張っていることの証、あらわれだと勘違いして
カンタンに、ラクに、感覚の望みに従うことを
「楽しちゃだめだ!」と思考の出番をゆるすから、
「人から見た自分=自分ではない外基準の声」にばかり
意識をフォーカスするから、
いつまでたっても
ほんらいの、本音の感性100%の自分が塞がったまま になるんですよね。 ^^
それでも、いいけれど。
そのままでも、もちろんいいけれど
「もう、その景色には飽きた!」と
自分の“中”の小さな声が叫ぶのを感じたなら、
その声を救えるのも“自分”しかいない♪
「外から見た自分」にフォーカスしながら書くことと。
「内からの声」にフォーカスしながら書くこと。ある意味、どちらもバランスですが
あまり前者ばかりになると、
ほんらいの自分からは どんどんかけ離れていく♪
今回は、その一言をお伝えしたくて(したかったみたいで)
ここまで長く書いてしまいました が
もし、ふだん思考寄りで書くことが多い方には、あえて
「外基準」を手放して、
「内基準=こころの声」が湧き出るままに
筆を書き進めてみられることをおすすめいたします。
「解いてほしい」
「そろそろ ほどいてほしい」とずっと待っている、もう一人の神聖な、そして無邪気なコドモな自分がそこに待っていますよ♪

続きは、長くなるのでバッサリカット(笑)
「書く」ことで、出逢う、
ふたたび巡りあっていくもう一人の自分を迎え入れること、
統合すること、融合すること、循環すること♪
紙とペンがあれば、人はいつでも
自分の中心に立ち還っていける。
“本音”を自分で聴きだすことができる♪
くわしくお知りになりたい方は、またどこかで☆
本日長文、お読みくださりありがとうございます。

