泣く必要がないのに出る涙は、魂の涙。 | 感覚派の幸せ&文章講座

感覚派の幸せ&文章講座

繊細で感性豊かな人がいちばん幸せになれて、生かされる居場所を見つけることや育む言語化サポートもさせていただいています。


泣く必要がないのに

出てくる涙は

真実の涙。


魂の涙。


ひとがひとを「好き」と思える気持ち、

それだけで

流せるものが世の中にはあるんですね。


  芦屋発☆自然と集客・豊かさにつながる文章講座-NCM_0702.JPG

  芦屋発☆自然と集客・豊かさにつながる文章講座-NCM_0706.JPG
    

実は今朝、何年かぶりに大泣きしまして。笑

プライベートなことなのですが、

身内でのことなのですが


ひとはこんなにも

「泣ける」

ものなんだと

あとからしみじみ感じました。



娘に対して、自分ができなかった「とあること」。

それが悔やまれてくやまれて

朝の登校あと

ひとりで泣いていたのですが(笑)


気づいたのは、自分は

「娘が大好き」なんだってこと。


いままで、ずっといっしょにいたのに

“初めて”深いところで気づいたようで


そのときは

「なんで、こんなに泣けるんだろう?」

とただただ自分の未熟さにへこんでいたのですが


すなおに

「ごめんね」と「大好きよ」を繰りかえしていたら

すこしこころ穏やかになり。


ひとは、ただ

「ひとを好き」と思える気持ちだけで

こんなにも泣けるものって

今朝初めて知りました。


  芦屋発☆自然と集客・豊かさにつながる文章講座-NCM_0702.JPG


けして、「泣く」ようなことではないのに。

けして、「泣く」必要のない涙なのに

出てくるのは

きっと「魂」の涙。


そんな経験、ありませんか?


  201107241112000.jpg


そういうとき、ひとは素直に

泣いていいのだと思います。


実は、「泣く」機会を待っていたのかもしれないから…



大人になると、なぜかカンタンには涙を流せない。

けれど

それをゆるしてくれるのも

また娘であり子ども。


自分でもびっくりしたのですが、

とめどめなく“それ”があふれてくるとき

ひとはとても深い魂レベルで

なにかが浄化されているのかもしれませんね。



「極」を生きると決めたとき、

「両極」をめいっぱい楽しむと決めたときにも

そうなのかもしれませんね♪



涙は、バランス。

なにか陰と陽のあいだを流すものが必要なときにも

あらわれるもの。


涙は、架け橋。

この世の両極をつなぐお手伝いが

ほんとうにできますよう手をこころを合わせながら

自分は「自分の中心」を生きてまいります。



オチのない記事ですが、

お読みくださりありがとうございます。


  


                    (連投恐縮です、ひとつ前はこちら