泣く必要がないのに
出てくる涙は
真実の涙。
魂の涙。
ひとがひとを「好き」と思える気持ち、
それだけで
流せるものが世の中にはあるんですね。
実は今朝、何年かぶりに大泣きしまして。笑
プライベートなことなのですが、
身内でのことなのですが
ひとはこんなにも
「泣ける」
ものなんだと
あとからしみじみ感じました。
娘に対して、自分ができなかった「とあること」。
それが悔やまれてくやまれて
朝の登校あと
ひとりで泣いていたのですが(笑)
気づいたのは、自分は
「娘が大好き」なんだってこと。
いままで、ずっといっしょにいたのに
“初めて”深いところで気づいたようで
そのときは
「なんで、こんなに泣けるんだろう?」
とただただ自分の未熟さにへこんでいたのですが
すなおに
「ごめんね」と「大好きよ」を繰りかえしていたら
すこしこころ穏やかになり。
ひとは、ただ
「ひとを好き」と思える気持ちだけで
こんなにも泣けるものかって
今朝初めて知りました。
けして、「泣く」ようなことではないのに。
けして、「泣く」必要のない涙なのに
出てくるのは
きっと「魂」の涙。
そんな経験、ありませんか?
そういうとき、ひとは素直に
泣いていいのだと思います。
実は、「泣く」機会を待っていたのかもしれないから…
大人になると、なぜかカンタンには涙を流せない。
けれど
それをゆるしてくれるのも
また娘であり子ども。
自分でもびっくりしたのですが、
とめどめなく“それ”があふれてくるとき
ひとはとても深い魂レベルで
なにかが浄化されているのかもしれませんね。
「極」を生きると決めたとき、
「両極」をめいっぱい楽しむと決めたときにも
そうなのかもしれませんね♪
涙は、バランス。
なにか陰と陽のあいだを流すものが必要なときにも
あらわれるもの。
涙は、架け橋。
この世の両極をつなぐお手伝いが
ほんとうにできますよう手をこころを合わせながら
自分は「自分の中心」を生きてまいります。
オチのない記事ですが、
お読みくださりありがとうございます。

(連投恐縮です、ひとつ前はこちら
)


