お茶の道は、禅の道。
むだな動きを一切なくしたうえでこそ、あらわれる美しさがある
といいます。
それはきっと、文章の世界も同じ。
“滝”の美しさを、
一文・一文字ならぬ“たった一筆”であらわせると、
その余白にもまた美しさが宿るのですね。
「美しい間がふえることで、
むだな主張も消えてなくなる」
そんなお茶のこころを、無言で教えてくださる先生の目もまた
どこまでも澄んで美しいもの。
ニュートラルな時間を多くもつことで、
そこから派生する美を、いったいどこに宿していきましょうか。
・・きっと、人の数だけその矛先も無数にあるのでしょうね。
茶道・書道に剣道と、道のつくものはたくさんありますが、
結局最後に行きつくのは『自分道』なのでしょうね。
