「存在」。 | 感覚派の幸せ&文章講座

感覚派の幸せ&文章講座

繊細で感性豊かな人がいちばん幸せになれて、生かされる居場所を見つけることや育む言語化サポートもさせていただいています。


なにげに尊敬しているのは、「母」だったりします。


母は、私がなにかあった時には「無言で」励ましてくれる人でした。




でも。


当時の私には、母の‘それ’が理解できなくて・・



「こんなに悩んでるのに、どうして何も言ってくれないの?」


と反抗的になったり。


「もうこのまま、学校に行けないままの人生を送っても平気なの?」


と勝手にすねたりして、さらに1人引きこもり続ける日々をすごしていました。




頼りと、励みになるのは「本」だけ・・


学校に行けない自分を、「このままでいい」とは本気で思えなくて、


図書館や本屋さんを巡っては、なにか「こころ」や「生き方」のヒントとなるものを、


片っ端から読んでいくのでした。



当時の自分には、それしか選択肢がなく、


親に相談できないなら、じゃ他の誰か・専門家にって、思い浮かばなかったのです。


なので、本をつうじて、


肌にふれていく言葉だけが、自分をあたためてくれるのでした。




「本ってすごいな」


もともと、読書好きではありましたが、


この体験をきっかけに、心理学・心の在り方についても深く興味を持つようになり。


余談ですが、それは当時孤独な私を本当に支えてくれました。




そして、幾日か過ぎて。


少しテレビなんかを見て、ようやく笑えるようになってきたころ、


ここではじめて、少し視野の広くなった私は「あること」に気づけたんです。



それは・・




今までずっと、「無言」だった母。


たいして私のことなんて、気にもとめてないように思えた母が、


相変わらず無言なんだけど、私が起きて朝食をとろうとするころには、「必ず」


そう「必ず」淹れたての温かい珈琲を、テーブルの上に置いてくれてたんですね。


そして、顔を洗ってテーブルの席につくころには、


また「必ず」焼き立ての熱々のトーストが、チン!と出てきてたんですよね。



いってみれば、当たり前のことかもしれないのだけど。


でも、今までそういったことにまったく気づけていなかった私は、


ここではじめて何かに「ハツ」とし。



母は、こうして言葉はなくとも、いつも「無言で」私を包んでくれていた・・


朝から仕事に出るため、その準備と家事とでとても忙しい時間なのに、


一体どこで見ているのか、「必ず」私のことを最優先にしてくれてたんですね・・・



そして、一緒に朝食をとるんです。


私が不定期で起きてくるにもかかわらず、ここでも「必ず」一緒に食べてるんです。


私は、そこにはじめて気づけた時、


今まで「つめたい」と思っていた母の、本当の「見えない深さ」にふれて、


今までかたくなになっていたこころが、するする~とほどけていったんですよね。



そして、当時は二層式の洗濯機で、


洗いが終わると、次は脱水機に入れなおさないといけない合図「ピーツ」がなっても、


「一度も」席を立たなかった母・・


そして、時間になって大慌てで家を出ていく母(笑)


なんかね、「今までごめんね」と「ありがとう」のことばしか出てこなくて、


単純なのだけど、次の日からようやく学校に行きだした自分がいます。




「愛」は、「ことば」さえ超えるんですね・・


私も、そういう「存在」でありたいと思いました。


そして、そういう存在の人こそを、「ことばにならないことば」で伝えていきたい・・



少し、やかなりの時空を超えてではありますが、


あの時の母に、改めてありがとうと言いたいと思います。


そして、そんな母のことを誇りに思って、


ここに「ことばで」記しておきたいと思います。




昨日母が、「3月そっち(長崎)に遊びにいくから♪」と言うので、


思わずいろんなことを思い出して、つづらせていただきました。


ここまで長文、お読みくださった方々にもありがとうございます。



少し照れるけれど、親への「ありがとう」は、思い立ったが吉日だと思うので、


面と向かって「言える時」に、きちんと伝えておきたいものですね^^




そして、「ことばに支えられる」という経験にもありがとう。


多くをかたらない、「存在」からの学び、


そしてそんな、「無言の存在=本物」 こそを、伝えていけるよろこび・・




すべてに感謝をこめて。


ただ書けることに、感謝です。