前回


…のあらすじ

義父のためにみなさん集まってくれました


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2024年1月26日金曜日18時。

通夜開式である。


車酔いのため控え室で休んでいた娘だったが、

ソファで横になり私のスマホでYouTubeを見たりお湯を飲んだり母とお喋りしているうちに回復。

ホールへ連れ出した。


既に義妹が3人分空けて座っていたので、その隣に固まって座る。

娘は葬儀の場は初めて(厳密に言うと初めてではないが当時1歳でただいただけ)なので、

最初に夫が焼香をするのでそれを真似すればいいし、

私と娘は一緒に立つことになるので横で見てもらっていればいい。


この時の娘の服装が参列者や斎場スタッフに好評で、

「制服?」なんて聞かれた。

私のお下がりだというともっと驚かれた。

小さい頃の娘を知っている方もいるから、成長していて驚いただろう。


祭壇を見ると、朝私が作った団子と一膳飯(箸も立てられていた)、

それと白木の位牌が置かれていた。

この時初めて戒名を知る。

よく見ると義父の名前の1字(旧字のところ)はともかく、

義母の名前の読みは同じだけど違う字も入っていた。

住職からの電話で義母の名前を漢字も含めて聞かれたのはそういうことだったのか。


担当はいさんが司会も務めた。

打ち合わせの時は丁寧ではあるけどちょっとせっかちかな?という印象だったはいさん。

司会となるとまるで印象が変わる。


住職が入場し合掌で迎える。

私は「お直りください」のアナウンスがあるのを知っていたのでそれまで手を合わせていたが、

あれってなんかついつい「いつまでやってりゃいいのかな」ってなりがちだよね。


読経が始まる。

何を言っているのかはわからないけれど、

葬儀のお経というのは故人の魂を仏様の元へ導くためのものである。


そのうちに焼香が始まった。

事前にはいさんから私達家族に伝えられたのは、

「まず故人に一礼、焼香して合掌、参列者の皆様への一礼は席に戻る前」

だった。

あくまで故人との別れの場であるため、真っ先に挨拶すべきは故人であるということらしい。


まずは喪主である夫から。

はいさんに言われたとおりに進めていく…


しまった。

焼香の作法を調べるのを忘れた。


つまんで額に近づけ落とす(押し頂く)を3回とか、

額に近づけず3回落とす場合とか、それが2回とか、

1回つまんで額に持っていき2回に分けて炉に落とすとか、

宗派によって変わる場合があるのだ。


夫はつまむ→額→落とすを2回。

参列者へ一礼して戻ってきた。

次は私と娘の番。

一応夫に倣って2回にしたが、

どうもうちの宗派は3回だったようだ…


娘は夫を見ていたのと、私がやっているのを横で見ていたのか、とっても自然にできていた。

初めてにしては上出来である。

参列者に一礼して席へ戻る。


それ以降は義妹から順に進めていく。

その義妹だが、横からすすり泣く音が聞こえたので泣いていたのだろう。

白々しいったらありゃしない泣くくらいならもっと会いに来りゃ良かったのに


受付業務は参列者がさほど多くないからか落ち着いていたようで、

いつの間にか父と兄も席にいた。


全員の焼香が終わり、読経も終わった。

最後に住職が簡単に法話をしご退場。

義父のいた老人ホームゆうホームからの弔電が読まれた。


夫が挨拶をする。

まず義母がこの場にいない理由と、

亡くなったことを伝えた時の状況を話した。


前も書いたが、今の夫の職場は義父の母校。

その教頭先生もお見えになっている。

たまたまだが母校から花が贈られたことになった、という話もした。


実は控え室で、

「父は平均ぐらいは生きられたのかな?」

と夫が言い出し、私はスマホで調べて見せた。

2022年のデータだが、男性が81.05歳、女性が87.09歳らしい。

義父は88歳(ほぼ89歳)なので、男性どころか女性の平均すらとうに過ぎていた。

…というのもネタにしていた。


前年から体調を崩して入院し老人ホームにいたこと、

今年に入って肺炎で入院し程なく亡くなったこと。

覚悟はしていたけど突然のことだった、というような話をした。


夫は職業柄人前で話すこと自体は慣れたものだが、

この挨拶は即興で思いつく限り喋っていたという。


こうして通夜は1時間もかからず終了。

そのタイミングで住職がお帰りというのでご挨拶いただいた。

ここで帰る参列者もいたが、

声をかけて通夜振る舞いの会場に案内していった。


結果、残ったのは17人。

料理の量を20人前にしたのは正解だった。


私は娘と義妹と同じテーブルへ。

座っていると夫が「明日7人ね」と言いに来た。

火葬場での食事の調節で、参列者に聞いて回ったところ、

我が家3人・私の実家3人・義妹以外は参列しても火葬場までは行かないという。


ここでは特に挨拶もなく食べ始める。

海無し県在住の義妹が「刺身がうまい」と喜んでいた。

娘は好物の寿司に夢中である。

夫もようやく落ち着けて食べ始める。


義父の陰膳で少し取り分けるのだが、

夫「肉は嫌いだったよね」

義妹「いっつも豆腐食べてるイメージ」

私「じゃあ一番近いがんもどきで良いのではw」

なんて言って皿に盛っていた。


その料理がまた多いのなんのって。

まぁ足りないよりはいいけど、結局かなり余ってしまった。

次第に参列者も帰っていき、残ったのは明日火葬場まで行く7人。

離れて座っていた両親と兄もこちらに来た。


そういえば私の家族と義妹はこれが初対面である。

恐らく娘が乗り物酔いで休んでいた時に挨拶したのだろう。

コミュ力お化けの母が義妹にガンガン話しかけていく。


全員腹が満たされたところで解散とした。

義妹は近くのホテルへ泊まるのだが、

実家の3人は1時間かけて帰る。

翌日も早いので一番大変なのはこの3人だったかもしれない。


20時に帰宅。

娘は清めの塩に驚いていた。

何事も経験である。


服は翌日も着るので吊るしておき、

すぐ風呂に入って寝た。


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◎通夜振る舞いにて、あつ森にこういうテーブルあるよね、と娘



◎横浜行った時にリラックマバス見たんです