私の切なる願い。
それは、
『私に悪口をいつまでも言って
 ください。』

私は私の悪口を言ってくれる人には
長生きして欲しいと心から思う。

私の悪口を言う事でその人が長生き
出来るのであれば。

何故なら人は尊い存在だから。

人は周囲から己の尊さを傷つけられる
程に、人を傷つけ、自分をも

苦しめてしまい、自分の尊さを
忘れてしまう。

本当は伝えたい事があっても
周囲から我慢を強要され、

我慢している事も忘れて
我慢していない他者が許せなくなる。

そして、また許せない相手に
他者に我慢を強要し、その我慢

しなければいけなくなる苦しみが
輪廻する。

ならば、せめて私に対して悪口を
一生言って欲しいとさえ思う。

私は悪口を言ってくれる人の的で
あり、「えた」「ひにん」でいい。
たくさん私を差別して欲しい。

どんなに悪口を言われても、
悪口を言ってくれる人にも尊さが
明確としてみえる。

私をバカにしてくれて、笑って
貰える。喜んで貰える。

私の為に時間を使って貰える。
非常に有り難い限りです。

私の悪口を言ってくれる人は
一人だけではなく、

被害妄想ではなく身近にも
たくさんいる。

だが、それが非常にありがたい
限りです。

わざわざ私の為に時間を
さいてまで、悪口を言って貰える。

悪口を言って貰えると言う事は
それだけ相手が私を気にしてくれて
いる証拠。

悪口を言って貰えると言う事は、
自分の思い通り生きられない人が

私に対して、悪口を言うことで
ストレスを発散して貰える。

日々の日常でたくさん溜まった
ストレスを私の悪口を言って
貰える事で、

ストレスから
少しでも逃げられるのであれば、
大いに悪口を私に対して、

死ぬまで言って欲しいとさえ思う。

それほど、現代では人と比べられ
傷つけられ、苦しんで、苦しみ過ぎて
真の苦しみすら分からなくなっている

本当は己の尊さは、確固として
己の中にある。

しかし、人は忘れやすい。

釈迦も、達磨も、孔子も、
キリストも、仏も、

尊い存在は己の中にある。

ご利益などではなく、自分自身の
存在自体がご利益な尊い存在。

ただ人は、忘れやすく、忘れた人が
他者を傷つけ、他者も忘れてしまう。

だから、せめて
『私に悪口をいつまでも言って
 ください。』

『私に対して悪口を言ってくれた
 人には長生きして欲しい。』

人は尊い。

それが、己の
【如来、如来像】

その人の心が少しでも救われるなら。