「2ドル20(セント)ですよ」
その運転手さんは、
低くて優しい声でバスに乗り込んだわたしに言った。
明日はケアンズを発つという日
午前中に家の用事を済ませてくるというMakiさんと
お昼頃にケワラビーチで待ち合わせることになった。
Makiさんは迎えに行くよ、と申し出てくれたけど
ちょうど前の晩、ケワラビーチ行きのローカルバスが
宿の近くのバス停から発車しているのを見たばかりだったので
自力で行ってみよう、とバス停に向かうと
タイミングよく「Kewarra beach」と表示されたバスが
滑り込んできたところだった。
料金も(前払いなのか、後払いなのかも)確認せず
とりあえず飛び乗ると、
運転手さんはわたしに料金を告げた。
どうやら前払いらしかった。
いま、2ドル20って言ってた。
2ドル20・・・
2ドル20・・・
ぼそぼそと繰り返しながら
財布をあけて、慣れない外国コインをかきわけて
足し算しながら2ドル20をもたもた探しているわたし。
慣れない場所、英語も堪能でない自分。
こんな時、世間話とか冗談とかとばしながら
時間をかせげたらどんなに楽だろう?
そんなことを考える余裕ももちろんなく
コインを探す時間がものすごく長く感じる・・・
だけど同時にわたしは感じていた。
そんなわたしを、イラつくこともなく見守ってくれている
この運転手さんの眼差しを。
観光地なので、全体的にのんびりしているのかもしれない。
あまり日本人を見かけない地域なので
珍しいのかもしれない。
英語の話せない、いかにも観光客な私を
やれやれって最初から諦めムードで見ているだけかもしれない。
でも、私がそのとき感じていたのは、そのどれでもなく、
ただただ、優しいまなざしとともに
待っていてくれる彼の存在感だった。
もしもそのまなざしがなかったら、、、
私はいたたまれなくなっていただろう。
もっともっと時間がかかってしまって
ひょっとしたら焦るあまりに手が滑って
バスの床に小銭をばらまいてしまったかもしれない。
でも、その黒人の運転手さんは
まるでおじいちゃんが孫を見守るように
お母さんが小さな子どものチャレンジを見守るように
静かな呼吸で待っていてくれた。
もたもたしつつも、終始その存在を感じながら
やっと「2ドル20セント」を探し当てた私がそれを見せると、
彼はにっこり笑ってうなづいた。
走り出したバスに揺られながら風景を眺める。
その前日にMakiさんに乗せてもらった車の中から
見たのと似たような風景が見えてきた。
そろそろ降りようかな・・・
と思ったそのとき、バスはビーチ沿いの道から
曲がって住宅街に入ってしまった。
またも、ちょっと焦る私。
路線図を見てもよくわからない・・・
しかたなく、次に誰かが下りたバス停で
彼に「ケワラビーチリゾート」はどのへん?と尋ねた。
雰囲気的に察すると、通り過ぎちゃったらしい。
「この道をまっすぐ戻って、つきあたりを左折して、
そのまま少しまっすぐ行くと着くよ」
それは簡単な道案内だったが、
またも彼は、それをへたくそな英語で繰り返す私が
ちゃんとわかっているのかを確認するように
3回くらい自分も同じ言葉を繰り返してくれた。
「まっすぐ戻って、つきあたりを左折して、
そのまま少しまっすぐ。」
「O.K。行ってみます!ありがとう!」
そう言って私は右手を差し出した。
なんとなく、彼と握手したくなったのだ。
運転手さんはちょっとびっくりしたようだったが
笑顔で握手してくれた。
大きな手のひらは、やわらかくて、温かかった。
そのやわらかさと温かさは
小銭を数えるわたしを見守ってくれた彼の存在感そのものだった。
そんな小さなお話。