私は、他人と目を合わすことができない人でした。それはたぶん、自分というのが人から見透かされるのが怖かったのかもしれません。

私は、いわゆるモラハラと呼ばれる結婚生活を送り、離婚した人間ですが、なかなかモラハラということの理解は難しいものでした

 

一つ一つのエピソードを話しても、夫婦にはよくそんなことはあるよ。という会話になってしまい、実際の心理的ダメージはなかなか理解されないものです。

 

別れたあとも、精神的ショックからなかなか抜けられなく、ときたま、フラッシュバックのようなことが起こり、普段は忘れていても、一緒に出掛けた場所とか、そのような記憶に近いシチュエーションに出会うと、鮮明な記憶が呼び起されます。

 

うかつに口にすると、いつまでそんなこと言ってるの?と言われることも多々あります

 

そんなふうに思っている自分が悪いんだ。と思うこともありましたが、過去の記憶も自分自身の一部なので、無理やりに記憶を押し出すのではなく、最近では、そんな記憶が蘇ったときには「よく頑張ったね。ありがとう。もう大丈夫だよ」と自分に声をかけるようにしてます。 

 

それはそれとして、私がそのような目にあったのは、実は結婚生活が初めてではありません。

 

過去には、親友と思って、数年間ものすごく仲良く付き合っていた、同性の友人からも、モラハラのような扱いを受け、最後は集団の中に悪口を言いふらされて、大変な目にあったこともあります。

 

たぶんそのような人達と仲良くしてしまうのは、私自身に問題があると、以前からウスウス感づいてました

 

私が最近出会う人達は、とても親切で優しく、一緒にいて安心できる人がとても多いのですが、以前の私と今の私の何が違うのか?

 

以前の私は、人から自分がどのような人間なのか?見られるのが怖くて、人と目を合わせられない人でした。

 

今は自分自身に「自分はこれで良いのだ。もし心を読まれても、私は何もやましいことはないし、他人の手助けをしたい。何も怖くない」と思っているので、堂々と目を合わせることができます

 

実は人の目には、たくさんの情報が詰まっており、目の輝きを見たら、その人がどのような人間なのかわかることが多いのです。

 

やましい考えを持っている人は、目の輝きがにぶって見えます。

 

今はそのような目の輝きを持った人間からは、そっと距離を置いて、必要以上に親しくしないようにしてます。

 

つまり、以前の私は人の目を見ることができず、そのような人間でも、すべての人間に対して心を開き、簡単にモラハラ扱いをする人とでも、仲良くなってしまっていたわけですね

 

ものすごく単純な話ですが、今まで気づかずに生きていて、本当にもったいない生き方をしていたのだなぁと思ってます。

 

これからは、愛のある人達とたくさんの良い思い出をつくる生き方をしてゆきたいと思ってます。