私が3人目の赤ちゃんを産んだことを知っている人は
周りに沢山いる。
産んだはずなのに、赤ちゃんを連れていないので
色んな人に「赤ちゃんは?」と聞かれた。
NICUにいる時は大抵「大丈夫やわ。」と人は答える。
産まれた時のことを正直に話すと、
医療関係の人は「それはもうあかんね。」とサクッと答える。
そうでない人は「大変だったね。」と慰めてくれる人が多数。
でも、中には
「お母さん、動き過ぎやったんやわ。いつもバタバタしてるもんな。」と慰めてるのか?と思うようなショッキングな発言をする人もいた。
これはもう、その後もずーっと心に残った。
病院で回診の部長先生に言われた言葉と共に。
亡くしたことを後日、知った人の中にも
「大変だったね。でもいいやん、上に男の子と女の子2人いるから。」と
これまた、それは慰めには全くなりません。
と感じる言葉を発言する人。
つくづく、私は、今後知り合う人にこうした子どもを亡くした人がいたら
「1人亡くしたけど、他にもいるからいいやん。」って言葉、絶対にかけない。と気づいたし
そういうこと言う人とは距離を置きたいとまで感じてました。
人は他人から言われた言葉を自分の解釈で理解する。
なのはを亡くした私は
病院の部長先生に言われた
「お母さん、前の晩にきてたら赤ちゃん助かったかもね。」
知人に言われた
「お母さん、動き過ぎやったんやわ。いつもバタバタしてるもんな。」
この二つの言葉は
なのはを亡くして12年近く
ずーっと、ずーっと
私の罪悪感として心の中に残っていた。
でも、今年の4月
ある人に出会い
「その病院の先生や知人の人、自分のお母さんがいつもバタバタ忙しくしててしんどい思いしてるのずっと心配やったんやわ。」
「だからあなたにゆっくりして欲しい。自分を大切にして欲しい。しんどい時はすぐ病院に来て欲しいって思って、そう言わはったとしたらどうですか?」と言われた時
なんてこと?
本当にそうだとしたら…
心の中でそう自分に問いかけてみたら
今までずーっと持ち続けていた罪悪感が
スーッと消えて心が軽くなりました。
人間ってこんなにも言葉の受け取り方次第で
心が重たくも軽くもなるものなんですね。
あと、「赤ちゃんは、『お母さん産んでくれてありがとう。お腹の中で9カ月、ずっとお母さんに大切に守ってもらえて嬉しかったよ。』って言ってるよ。」とも言ってもらえた。
この言葉も、
なのはを亡くしてから色々なスピリチュアル系の人に
「赤ちゃんはどうしてますか?」と知りたくて知りたくて尋ねた時
ほとんどの方が言ってくれる言葉。
今まで罪悪感の方が大きくて、中々受け取れなかった。
でもやっとこの時
なのはの言葉を素直に受け取ることができた。
そして、自分を大切にしよう
そうでないと、今生きてる私の3人の子どもたちを守ることが出来ないから。
と心から思えるようになりました。