こんばんは。

ハッピータイムマネージャー 南郷 純子です。


本日は、真の優しさについてお話したいと思います。

自分で言いますが、

「優しい」は、私の代名詞でした(笑)


子供の頃から困っている人を発見した時の、

反応の速さは尋常ではありません。

手を貸そうかなー、どうしようかなー、

と、考えるより先に反射的に

バッと動く感じです。

小学生の頃に起きた優しさについて

考えたことを今でも覚えています。

小学2年生の時、

小さい子が転んだら、

すぐ手を差し伸べる?

黙ってみてる?

どちらが優しいでしょうか。

というお題が学校の授業で出ました。

私は、全力で助ける派だったので、

黙ってみてる意味がわかりませんでした。

そういうネタだと思いました。

でも、黙ってみてる派が、

小さな子の成長の為に、

見守ることも大事だという意見を言うのが

とても衝撃的でした。

困っているのに、直ぐ様助けないなんて

あり得ないと思っていたところに、

長い目で広い心で見守ることも

優しさだと知り、

目が鱗でした。

新鮮な考えを自分の中に取り入れることに、

喜びを感じました。

しかし、3年生になった私は、

やはり、放っておくことができなくて、

何でもかんでも手を出すものだから、

担任の先生からは、

それは君には関係ないことだとか、

他の子の成長の機会を奪っているだとか、

お話があり、

担任の先生と衝突することがありました。

コンコンと注意される中で、

納得がいかず、苦虫を噛み潰して

おりましたが、

今思えば、これも自分と異なる意見に耳を傾け、

人の意見、その人自身を尊重するという

私の成長に繋がりました。

そういう意味では、ハッキリと別の意見を

仰ってくれた、それまた、先生の優しさですね。


その人自身を見つめ、その人にとって、

どんなことがプラスになるのか、

常に見極める力が真の優しさです。



何でもかんでも手を差し伸べるのは、

優しさのセンスがありません。

求められるまま、

もしくは求められてもいないのに、

優しさの安売りをすると、

擦り減るのは他でもなく、自分です。

やってあげたのに、恩知らずだ

なーんて見返りを求めだした日には

そんな自分を見たら、

自ら人気のない場所で落とし穴を

セッセと作って、

まんまと落ちて誰も助けてはくれない

自作自演の、

自己嫌悪の罠にハマって、

まじで気付かれることなく死にそうです!

そんなことしたって、

1ミリも自分の為にも誰の役にも立っていません。

優しさに見返りは一切不要です。

優しくする理由は一切要りませんが、

優しさがその人の栄養になって、

辛い時に思い出してくれて前に進めたり、

その人がまた他の誰かに優しくしていることが

軽く想像できたら、それで十分です。

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今、手を差し伸べると、

もう少し栄養があれば、前に進めそうか、

本当に危機迫っているか、
 
この方の学びの機会を奪わないか、

ただ、甘えているだけなのか、

でも、愛が枯渇して本当に足りないか、

ずっと頼ることはないだろうか、

短期的、長期的にみたら、

どう接していくことが成長に繋がるのか、

続けても自分で考えられるようになれるか。

時には、頼られることをキッパリと断ったり、
相手を尊重しながら、

耳の痛いこともお伝えすることも必要です。

(これがハッとする一番の優しさでもあります)

真の優しさを発揮するには、

直接的や間接的な優しさに加え、

あれもこれも出せる沢山の優しさの

引き出しを増やしていきたいですね。

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自分をないがしろにして、

人にばかり優しくする自己犠牲の精神ではなく、

自分にも甘やかす優しさではなく、

自分へのリスペクトを一番に尊重しながら

自分へ優しくしましょう。

そして、優しさのアップグレードと

バリエーション増量アップを目指しつつ、


今、できる真の優しさとは何ですか?


と、常に自分に問いかけましょう!

これを読んでくださった方々に

優しさの連鎖がエンドレスに続きますように。

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本日もお読み頂き、誠にありがとうございました。