3月11日は日本人にとって
「あたりまえの日」ではなくなりました。
今朝も新聞に綴られた
福島のある親子の話を
朝から涙なしでは読めませんでした。
大切な人を失った体験は
年を負うごとに
それを背負う日数が増えるということ。
忘れることなんかできないし
それを体験しなかった人たちが
そういうことを「知る」ことで
人生を見つめ直すし
あの日から方向転換された方々も
たくさんおられるであろうこと。
私のアルバイト先でも
復興支援プログラムがあって
このことを若い仲間と昨日、話してたのですが
当時はみんな小学生だったと。
そんな子たちが今やいっぱしに
働く年齢になっているわけです。
考えてみたら、私もあの日は仕事を終えて
帰宅したらガタン!と経験したことのない揺れに
びっくりして、そのあとしばらく呆然・・
「どうしたらいいんだ?」と我にかえり
小学校にまだ小3の息子を迎えに走ったのでした。
まだ連絡網メールが無い時で
(あれをきっかけに防災メールができた)
防災訓練はしていても、実際
お迎えにこられない親は
たくさんいたし、泣いている子もたくさんいました。
集団下校で帰宅したけれど
電車が動かず、
親が帰宅できなかったおうちもあったことでしょう。
それぞれの場所で不安や怖い想いをした人は多かったはず。
しばらくは放射能のことで頭がいっぱいの大人もたくさんいました。
そのなかで
自分ができることはなんだろう?って考えた人も
いろんな行動を起こした人もいたし
そこで人間性がでたな~と思うことも多々あったし
本当に考えさせられる災害でした。
願わくば、あのような災害はおこらないほうがいいけれど
自然が相手。
その時、その時の自分でやるしかないのでしょう。
そして今朝、同じ新聞に
別の話で
癌になった緩和ケアのお医者様の記事もありました。
当事者になって、本当にわかること。
「さらによく」なんて生きようと思えない。
前できていたことができないんだもの。と。
病気の前にはなんとなくかけていた言葉が
今の自分はそうは思わないと。
ただ、あきらめずにしぶとく生きる。
そう書いてありました。
今、与えられた命を
全うすることなんですね。
心にズシンと
訴えかけるものがありました。