週明け、
秋雨が続くようですね。

連休が多い9月でした。
先日、とても尊敬する先生がご逝去されました。
息子が小学校5年生のときから
お世話になった個人宅で行っていた
英語の教室の先生です。
いわゆる「お勉強の英語」教室ではなく
幅広く、コミュニケーションとしての
グローバルな英語教育を少人数でしてくださり
受験英語はできないから・・・と
息子たちのクラスも中2で一旦はおわったのですが
その後も英語の物語を読むリーディングクラスなども
してくださったり、折にふれて英語や多文化に
触れる機会をつくってくださった
人間味あふれる、
本当に素晴らしい先生でした。
ご病気になられても、
とても前向きに、病とも向き合い
いろんなことにチャレンジ精神、また好奇心
あふれる生き方を貫かれて
その先生の「生き様」に
接している人の多くは
大きな刺激や
感銘をうけていたのではないかなと思います。
私もそのひとりでした。
先生から受ける
愛溢れる姿勢に、時として
子供を通わせる親として・・というより
人生の後輩として、学ぶところがたくさんあり
素晴らしき人生のお手本のような
はたまた素晴らしすぎて
まったくマネはできないけれど
優しく包んでくださる聖母マリア様のような
存在でした。
敬虔なクリスチャンであられた先生の
御遺志で、近隣でのいわゆる通常の
お葬式ではなく、ご自身が尊敬する牧師さんの
素晴らしいお話を集まってくれた人たちに
きいてほしいということで、最後まで
まわりの人たちのことを考えていた
先生らしい会に、昨日は息子とともに
行ってきました。
生前から、その場で最後の会を
することを、とても望まれていたようで
ご主人様や牧師様からのお話でも
とても楽しそうに、準備をしていたくらい・・
というお話を伺って
以前から先生の死生観は
ブログをお書きになっていたので
たまにお邪魔して、読ませていただいたこともあり
あまりにも最期が、そこに書かれているそのままだなあと
想いと行動の一致感が
ぴったりと合致され、成し遂げられていること
でもそれらは押しつけがましいものではなく
強いイメージというより、やわらかで
とても美しい在り方だなあと感じていました。
葬儀告別式ミサとありましたが
私も、ここまでしっかりとした
教会でのご葬儀はでたことが
なかったのですが
牧師さんのお話や
聖歌隊の讃美歌におくられ
また最後の息子さんからのお話では
会場の笑いをさそうくらいのユーモアたっぷりの
笑顔でおくりたいという気持ち、
でも、やっぱり最後は言葉につまって
気持ちが溢れ、それがまた母親への
愛あふれる姿を表現されていらして・・・
堅苦しいものでは、全くなく
むしろ、本当に心暖かく
前向きな優しい光がいっぱいの、
なんとも先生らしく、
そして先生を取り囲むご家族のそして
それを見守る方々の
癒しの空間といいますか
もちろん、お亡くなりになって
寂しさや辛さはあるけれども
そして涙を流す姿もたくさん
そこにあるのだけれど
湿っぽさというか、暗さがないというのが
本当に衝撃といいますか
なんて素晴らしいの一言。
先生がみんな笑顔で暮らしてね
といっているメッセージを
そこに居る人が一身にうけとっているようで。
お部屋には優しい花々にかこまれた
先生の微笑まれているご遺影と
お部屋に池があったのですが
そこに写る水面のシルエットが
天井にうつり、まるでそこから
私たちが先生にみられているようで
不思議な感覚。
なんともこんなにもあたたかい素敵な
葬儀があるのだということ。
きっとこれは先生の生涯が
すべてをクリアして、全うされたことなんだろうなと
感じせずにはいられなかったです。
そしてそこに立ち会えたということが
ご縁が運んでくださることすべてに
深い感謝の気持ちを抱いた時間でした。
都内の有名な教会でしたが
裏手にはミッション系の大学があり
丁度1年半前の春休みに、息子たちが中学を卒業して
お祝いに・・とクラスの子たちを
そちらの教会に連れて行ってくれたのでした。
(先生はその時、すでに病にあり、身体的にも
万全ではなかったとおもいますが)
外国の方もたくさんいらっしゃるから
英語で交流をするいい機会になると
教会のイースターのミサにつれてきてくださり
更には、大学のキャンパスものぞいていくといいわよと
お昼をキャンパス内でご一緒してくださったそうで
これから高校生になるワクワク未来を抱える子供たちに
さらなる大きな文化やフィールドを
さりげなく提示してくださったこと。
一事が万事
そんな関わりをしてくださったなあと
いろんことが思い出されました。
たとえ、身体はなくなっても
魂はそれぞれ出会った人たちのなかに宿り
大きなお空から見守ってくださっていること
そういう、いろんな愛を
葬儀ミサのなかで感じたね。と息子や
ご一緒した同じクラスだったお母さんたちとも話し
また、久しぶりに
そこでお会いできた方もたくさんいらして
なんと小学校の時の担任の先生のご家族も
いらしていて
(息子さんがやはり先生のクラスのお通いだったそう)
懐かしく、息子も小学校のときの先生と
再会を喜び、今は何をやっているの?等
語らいの時間をもてたことなど
これは
先生からのプレゼントだね・・・と
そういう「分かち合い」のために
人々は関わりあっているんだと
最期まで教えてもらった時間でもありました。
私の母が亡くなったの年と
同じ年齢でなくなった先生。
なんとお誕生日は私の父と同じ。
母が亡くなった時に
母の友人や親せきに
「あなたのなかで生きているのよ」
そういう言葉をたくさんもらったのですが
その時はただ、ただ、悲しみに打ちひがれていた当時で
いろんなことがなんとなく腑に落ちない感覚でしたが
でも今、この年齢になったからなのか
その意味というか
真髄というか
興味ややっていることに
共通点があったりして
(私はクリスチャンではないですが)
なんとなく勝手に親近感をもって
お逢いしていたのですが
お亡くなりになっても
よりもっともっと
身近に感じる存在であられる先生です。
「慈愛」という言葉が
ぴったりのイメージの先生でした。
たくさんの深い愛を
たくさんの方に注がれていた(いる)
先生です。
心から感謝。
そして
ご冥福を心からお祈りしている
雨の日の今日です。