数日前の夕焼け。
スーパーの駐車場からみた
いわゆる「日常の風景」のひとこま。
ほんの数センチ、目線をあげるだけで
こんなにひろ~~~~~い世界が
頭上には常にある。
色合いや雲の有無、それは日によって様々。
同じ日は一日たりとて、無い。
有難くも毎日、無料で、壮大な天空ショーを
みることができる。
わざわざ遠くに出かけずとも。
窓をあけるだけでも、
ちょっと散歩するだけでも。
上映時間は無限。
1分でも10分でも1時間でも可能。
それに費やす時間は
あなたが決める。決めている。
「生きていること」
それだけで得られること。
気づかないだけで
たくさんある。
* * *
「流れている日常」のなかから
どれだけふっと足を「止められる瞬間」があるか、
「当たり前」のなかから
どれだけ「有難さ」を感じられるか
「幸せ」といわれるものは
本当は皆、平等に与えられているのだけど、
それをキャッチできる人(時)と、できない人(時)の違い。
私はその人の
「意識」と「感じる力」じゃないかと思う。
自分のなかにある
「みようとする意識」「感じようとする貪欲さ」
を総動員することで
「自分が本当に大切にしているもの」は
容易にわかると思う。
容易というのは、実はシンプルだから。
容易ではない・・という人は
もしかしたら、「難しくさせている」何かがある。
「自分が本当に大切にしているもの」
それがわかっている人、意識がある人は
本当に強い。揺るがない。
そしてそれを本当に大事にしている人は
もっと強い。しなやかだ。
「想い」と「やること」に一致感があり、
なにより「嘘」がない。
* * *
もう10年くらい前。
本格的に心理学を学びたいと、あるセミナーに通いだした私。
自分がなんとなく、感じていことや、無意識でやっていたことが
論理的に、また違った視点から学ぶことができて
思考がクリアになり、またいろんな人との交流もあり
楽しく、学び続けることもいいなと思ったときがありました。
と、同時に通うことがしんどいと思うことがありました。
「もっと学んでみたい」
「行くのが後ろめたい」
葛藤する2つの想いがそこにありました。
「もっと学んでみたい」はまさにそのまま。
心理学がおもしろくて、学べば学ぶほど、興味が湧いてくる。
「行くのが後ろめたい」
この一見ネガティブとみえる想いの下には
「行くことで犠牲にしているなあ」と
私が感じているものがあったからでした。
セミナーはすべて休日。朝早くから夜まで。
しかも3連休すべて・・・とか、
それが半年以上に渡ってでした。
当時、まだ幼い息子を夫に託しての通学は
家族で過ごす時間を犠牲にしているという想いが
私のなかに渦巻いていました。
ということは、「家族で休日を過ごしたいのだ」という
気持ちもあるということです。
でも学びたいし・・・・という葛藤をもちながらの通学でした。
で、ある日、ランチタイムに外に出た瞬間
秋晴れのお日様をみたとき
「あ~!私、なんでここにいるのだろう?
こんなにお天気で気持ちが良い休日に
都内のセミナー室にまる一日缶詰なんて!」
無性に息子や夫に逢いたくなりました。
こんな日にお弁当でももって家族3人で
ピクニックにいけたら、最高じゃん!?
そんなことできるのは、「今」だけかもしれない。
子供が大きくなったら家族で出かけることも
数少なくなるだろうって。
そんな大切にしたい時間を
私は自ら投げ出して、他のことをしているなんて。
この勉強は「今」でないと、「ここ」でないとダメなのか?
私、なにやっているんだろう?
なんだか急にばからしくおもえた「瞬間」があったのです。
心理学とか勉強して、わかりかけたつもりが
自分の本音すらみぬけないなんて、
本末転倒!!!って自分のこと思ったんです。
(そのセミナーが悪いとか、そういうことじゃないですよ。
私は「私自身の選択」に愕然とした瞬間でした)
なので、その通っていた期を終えて、
そのあとも上のクラスを勧められましたが
潔くお断りして、またその時の本音(家族で休日過ごす)
をやってみて、満たされたうえで、子供も大きくなって時間ができて
もっと勉強したくなった時にやればいいと思えました。
そしてそれから10年。
あの時より時間に余裕もあります。
学びはまだまだ、一生だと思っています。
じゃあ、あの時の「その上のクラス」に
今、行きたいか?といえば
答えはNOです(笑)
10年前、私は思いました。
私が、学びたい「心のこと」というのは
日常に溢れている。
心理学とはその日常ででてきた様々なことを
偉い学者さん達がまとめてくださったもの。
それをたどるのもひとつ。
でもせっかく自分も生身の人間だし
まわりにいてくれる人たちも生身の人間。
その日常のなかので学びも必ずある。
だから「日常」から学んでいこうと。
実際から学んでいこうと。
本を読んだり、時に人の話を聞きに行くもあり。
でも一番は今目の前にある「日常」
日常に起きることを丁寧に一つ一つやっていこう。
来るもの、ことを拒まず、正面から受けてみよう。
好き嫌いだけで判断せず、修行とおもってなんでもやってみよう。
できるかぎりのその時の自分で精一杯何事もベストを尽くしてやってみよう。
そう決めました。
そしてその想いで10年過ごしてきたように思います。
これはその時の私が自分で自分に出した答えで
正しいかどうかはわかりません。
でも少なくとも、私にとっては最適の答えでした。
なぜならば、この10年での日常からの
学びは相当たるものでしたから。
今こうして、生きていて、息ができて
食べられて、寝られて、住むところもあり
そしてそれはこのお天道様がてらしてくれる
地球に生きられているからこそであり
日々の「出来事」は本当にその人に必要な
どれ一つとして無駄なことはない
大事なこと、出会いだなって思います。
セミナーにずっと通われて、学ぶもひとつ。
私のように、ここまでは行くと期限を決め
その後は何で学ぶか自分で決めるのもひとつ。
私自身、今では講座を提供する側になって
それぞれの意志を持ってきてくださる受講生の方々が
ご自身の大切なものに、日々気づかれ、
そしてそれを実際に大事にされた時から
その方の魂がぐんと輝きを増され、ご自身の足で
颯爽と歩かれている姿を拝見するたびに
またひとつ教えて頂いたなあと感謝の気持ちを
抱かずにはいられません。
私の最高の先生は
日々出会う、皆様です。
ありがとうございます。
