息子の目を通して自分をみると
あ~息子からはこんな風にうつっているんだな~と
視点がかわると、自分のまた知らない面を
教えてもらえるようです。
写真って
何を選ぶか、どんな切り取り方をするかも
大事だとおもうけれど(私は写真は素人なのでエラそうには
言えませんが)
取り手の心もそこに映っているな~と
思うこの頃です。
対象物そのものだけが
写真にあるわけではないということ。
* * *
自分を知ることととして、
あとは内側の「自分のココロの反応」があります。
自分の心が何にどう反応したのか?
呼吸法をやっていると
静かにココロおちつける場所で
じっと自分の呼吸をみつめていると
次第に私は自分の感覚が「無」に近づいていくように
感じるのですが、(これは人それぞれでしょう)
無になったときの静けさ、
池でいえば、水面がす~っと何も波立たずに
穏やかな状態とでもいうのでしょうか。
ココロも落ち着いてきます。
それとは逆に、普段
外からの刺激をうけて
自分のなかで波がおきることもあると思います。
外の刺激をみるのではなくて
その自分のなかにおきた「波」の形、状態をみるのです。
それはなにを意味しているんだろう?
その波は
おそらく自分の大切なことに関係してくるのでは
ないでしょうか?
それは自分ひとりではおこせない、おこらない波なんですね。
もうひとつ、自分が起こせる波もあります。
それは自分からの発信。アウトプットです。
それをしたときに自分のなかに響くもの。感じるもの。
ココロ静かに穏やかになる時間。
時に波が立ち、お天気が変わる時間。
自ら興すエネルギー
その3つがあって、
いろんな多面性を持つ自分に出会えるような気がします。
いろんな目を通して、教えていただける「自分というもの」
そこを通して、最後は自分だけでも自分というものが
よくよくわかってきたときに、この世でのお役目が
ひとつ終わるのかなあなんて思ったりします。
だから、
今、自分のまわりに居る方
今、この状態
今、出会うこと
すべて、鏡となってくださり
自分を知るレッスンに手をかしてくださっている
響きあえる友なのかもしれません。
