おはようございます。
今日も爽やかな1日のスタートです。
私のブログをご覧になってくださったいるのは
多くが子育て世代だと思います。
(たまにシニア世代もいらして、それもまた嬉しい
)
0,1,2才という本当に「手がかかる時期」
自分の時間なんてなくて、
自分中心にまわらなくて
幼稚園や保育園にいけばまわりの比較がはじまったり
できる、できないばかりに目がいく![]()
もどかしさ、イライラ、なんだかわからないもやもや
学校にいけばいったで
見えないことが多くなるし
子供は思うようには行動しなくなる・・・怒りが![]()
という人もいれば
それぞれの時期の
新しい世界を楽しめる人もいらっしゃる。
振り返ってしまえば、本当にあっという間ですが
最中は親世代からは「今が一番いいときよ」なんて言われても
「全然よくないし・・・・
」「しんどいし
」
それって単純に視点を比較できないからね。
それに
すぐに「こうすればいい」って正解があるわけでもない。
こうでいいのかな~?まさに試行錯誤の日々だから。
以前も書いた内容かもしれませんが
最近私のブログを読み始めた方も
いらっしゃるかもしれないので
今日のブログは
まだまだ手がかかる
子育て真っ盛りの方にお届けしたいと思います。
* * * * *
今はめったに具合も悪くならない元気な息子も
一度だけ、入院したことがあります。
それは息子が5歳になる直前の
幼稚園でのお誕生会でのこと。
今からちょうど8年前です。
お誕生会では該当月の親も招待されて
みんなでお誕生会をしてくれます。
息子も前にでて、かわいい「お誕生日かんむり」を
もらったのですが、椅子にもどるなり
つっぷしてしまい、どうやら発熱。
そのまま、早退~となりました。
年度初めでお疲れがでたのかな~と思いました。
発熱は子供ではよくあることですから。
数日高熱がでて、お休みしていましたが
朝は下がるけど、お昼ぐらいから
高熱のパターンがさすがに4,5日続くと
かかりつけのお医者さんが
「まあ、風邪でしょう」とおっしゃっても
母の勘?がうずきだします。
おまけに手が痛いといって
左手があがりませんでした。
その日は日曜日だったのですが、
すごくワサワサして
病院嫌いの私でもかかりつけとは
また別の救急外来につれていきました。
当直の先生がCTまでとったのですが、
特にねえ~、やはり風邪でしょうと・・・。
でもそこで、私の「母の勘」がビビビ
なんか違う!!このまま帰宅してはいけないかも!という
直観がうずきだし、申し訳ないが
納得いかないのでセカンドオピニオンいただきに
CT画像をお借りして
小児医療センターにいきますとその先生に思い切って伝えました。
その先生も「え?そこまでするの?」という怪訝な顔をされ
そしてCT画像は手続きをしないと貸せないということで
明日(休日はダメらしい・・)来てくださいといわれました。
私はそこで、引き下がりませんで
(別にそこに無理にお願いはせず←こりゃだめだと早々に見切りをつけた
)
帰りの車のなかで、手が痛いと痛がる息子を横に
なにかせずにはいられず
小児医療センターに直談判の電話をしました。
通常、紹介状がないと診療してくれないのですが
・発熱が高くて続いていること、
・手が上がらなくて苦しんでいること
・別の病院で風邪といわれたけど、素人ながらにも
みていてそうはみえないと
たぶん、すごいせっぱつまった声で訴えたのです。
そうしたら、「とにかくきていいですよ」と!
そこから医療センターに夫と車を飛ばしました。
(ちなみに、夫は冷静に明日画像をお借りして
明日いけばいいんじゃないかな?と言っていました・笑)
私は「明日じゃ、おそいのよ!今よ!今でしょ!!
」
(↑その頃はまだはやっていなかったフレーズだけど、たしかこう叫んでいた)
そして医療センターについて、血液検査をしたら
なんだかの数値が異常に高くて
すぐに整形外科の専門の先生を呼び出してくれました。
(このときすでに夜の21時をまわっていたと思う)
「お母さん、よく連れてきたね。これから緊急処置をするから
一刻を争う数値でしたよ」
そう言われて、よくわからず頭真っ白になりながら、
処置室をでて外で待つように言われて
暗い廊下で夫と待っているときの心臓の音といったら・・・
今でもよく覚えています。
そして、その日は今私がお仕事としてやっている
ママイキマスター講師の養成講座が次の日から
スタートする前日でもありました。
せっかくひろっしゅコーチから
スカウトされて、養成講座にお声がけくださったけど
これは「ご縁」がなったな~
息子がどうなるかってときに
養成講座なんていってらんないわ
って正直思いました(今だから言えるけど
)
なにもすることがないし
お断りの件は早い方がいいかと
息子を待つ間
養成講座にはいけないこと(気持ち的には
この件はなかったことに・・・な電話)
暗い廊下の公衆電話でコーチに電話しました。
わたしの様子で
「わかった。とりあえず明日は欠席でいいよ」
の返事に
あ、すっかりもうそれはなし(辞退する)ってこと
ではないのか?
そうしか考えられなかった私も
まあ、コーチがそうおっしゃるならと
とりあえず電話を切ったのでした。頭のなかは
息子のことでいっぱいだったから。
そのあと処置室からでてきた息子
先生が病名を教えてくれて
(溶連菌の菌が肘にはいってしまい、それを抜く処置を
してくれました。もう少し遅かったら別の場所にいって
時には命までおびやかすこともあるそうです。いわゆる「溶連菌」とは
また違うようです)
入院して1か月抗生剤を打ち続けること。
お話しをぼ~っとしてききました。
でも本当にあのとき、こちらの病院にいかなかったから・・・
本当に自分のなかにある「母の勘」だけが頼りでした。
それから入院生活も大変だったのですが
そのあと、私も疲れで1か月後に
なんと盲腸になり、入院するのですが
入院生活とは時間がた~っぷりあるので
いろんなことを見つめる時間ができました。
とにかくあの8年前は
神様が私にいろんなことを
しっかりみつめなさいと
時間をくださったかのような
数か月でした。
そして、誰が教えてくれるわけでもない
いってみれば息子が身体をはって
そういう機会をあたえてくれたのかもしれませんが
自分のなかにあるいろんな
わだかまりやモヤモヤや
はっきりしないものを
逃げずにしっかり「見る」「観る」「感じる」
そうするともともとあるものが
だんだん、クリアにみえてくるのです。
なんだ、あるじゃないか。
いってみれば、私の表にみえる余計なモヤ
それを取り払うかのように、みつめる作業。
うわっつらばからみていた自分
でも本当は
もっと根っこをみたかったんだ。
きづきたかった自分がいるんだ。
そんなことを続けていたら
ふっとある日
病院の暗いなかで
一筋の光がみえたのをいまだに映像で覚えています。
自分が入院して、ベットに横になり
天井ばかりみていると
そこから自分のなかにはいっていって
自分の軸を感じ始めると自然と涙が頬をつたうことも
たびたびでした。
私の場合は息子の入院と自分の入院が
ある「転機」になったのですが
人それぞれ人生の「修羅場」があると思います。
大切なのは
修羅場にならないようにすることではなくて
修羅場になったらそこから逃げないこと。
そこから得るものは多大なる叡智からの「気付き」だから。