医学部時代の同級生で、小銭を借りるのに返さない人がいた。


まあその金額が少額なので、

金持ちからしたらお金のうちに入らないのかもしれん、

なんだかすっきりしなくてモヤモヤするけれど

返済をせまってゴタゴタするのもいやだし放置していた。



6年間同じクラスなのでもめたくないという心理もそこにはある。



とある日、その人が筆記用具を貸してほしいと言ってきた。

断るのもあれだから一本だけしかないシャープペンを貸した。

(自分はその日、ボールペンでノートをとった)


その人は丁寧な言葉で感謝し、明日返すと言ってはいたが…


案の定、次の日に大学で会っても…


「Jぴー、おはよー」


とあいさつはしてくれるのだが、シャーペンを返してくれない。


世の中うっかり忘れということもあるから、



あのー、私、昨日

あなたにシャーペン貸しましたよね?



と催促をしてみた。


するとその人は、


「あ、シャーペンね。明日もってくるから!」


と返事してくれたんだが、その次の日またもやなしのつぶて。



高価なモンブランの万年筆ではない。

たかが数百円のシャーペンだ。

こだわっている方が心が狭いと思われるだろう。


だが、あきらめられない理由があった。


モノもちのよい私は、

現役時代から浪人を経て、K大に合格するまで、

当時は鉛筆オンリー指定だったセンター試験こそは使わなかったが

その人に貸してしまったそのシャーペンと、ずっと勉学の苦楽を

ともにしてきたのである。


現役時代落ちたH大も、

第一志望だったけれど玉砕したK大医学部も、

つねにそのシャーペンで戦ってきた。



いわば、シャーペンは私の戦友だった。




大げさかもしれないが、

そのプラスチックのボディとゴムが巻かれたグリップには、

私の夢と希望と挫折と汗と涙が数年分しみこんでいる。

思い出のシャーペンなのである。


しかも安物とはいえ、ボディは限定色でもう生産されていない。



つまり…


そのシャーペン、プライスレス。



返してくれるものならば返してもらいたい。


私からその人のところへ行き、



あのさー。シャーペンのことなんだけど、

と言いかけたとたん。



「ああ、ごめ~ん。明日持ってくるわ」


とさえぎられた。

わかっているなら明日、と私は引き下がった。



しかし次の日もまた、その人が返しにくることはなく、

同じ不毛なやりとりが繰り返された。



こんなに私から連日しつこく言ってるのだから、

うっかり忘れているのではないだろう。


今まで返ってこなかった小銭同様、

きっとその人にとってはとるにたらないモノで、

返すという概念が、ないのかもしれない。



もしかしたら、同級生みなの前でそのシャーペンに

秘められたる思い出を大演説すればさすがに返してくれたの

かもしれないが、変人のレッテルを貼られること必至なので

出来なかった。



がっくりしていると、やりとりを見ていたクラスメートが

こうつぶやいた。


「あの人にモノ貸したの?

だめだよ貸しちゃー。

絶対戻ってこないんだから。

私も何度か貸したけど、

一回も戻ってこないよ」


その人は、

もうすでにほかの人から「返さない人」と認識されていたのだった。



さほど親しくもなく、出席番号も近くない私になぜ借りにくるのか

不思議だったんだが、周囲の人から借りはじめてだんだん周りが

貸してくれなくなったらしい。



私はその時点で、シャーペンをあきらめた。


世間知らずだった、勉強料として。


そんな大事なものだったのだから、

信頼のおけない人になんて貸さなければよかったのだ。



その日、私はその人にもうモノを貸すまいと決意したが

明言しなくともあちらに伝わるらしく、もう在学中はその人が

私にモノを借りにくることは、なかった。



これだけだとただその人の悪口になってしまうのだが、


なぜブログの記事にしたのかというと、

世間知らずな自分にはその人がとても怖かったのだ。



その人はクラスの中でもお金持ちの部類で、

誰もがうらやむような東京の一等地に自宅があるような人である。


そして礼儀正しくいつもにこやかで、

成績は優秀(追試で姿を見たことがない)だったのだ。



そんな人が、明らかにお金のないほうから数えて一番二番のような

私にわざわざ返す気のないモノを借りにくる…


身近なはずの同級生が、この一件で理解できない存在になった。

それが私には、とても恐ろしかったのだった。


(世の中わたっていればいくらでもこういう人はいるのだろうし、

中学時代は手癖のよくない人にも出会った。

こんなこと言うと甘いのかもしれないけど、

K大に入って医師になろうという人が、モノを決して返さない…

それがなんだかショックに思えたのだった。)




…今は昔の思い出です。