古き佳き趣の選択。創造に便利は敵。
息子25歳・アニメーターの独り立ち、命・燃やす人生。
& 刺さる古き佳き趣の選択。創造に便利は敵。
わざわざ、あえてそうすること、の意味とはなど。
画像は引越しにて自宅整理中でてきた彼の中学時代の社会科ノート。先生は「芸術だ」と書いてくれていますが
子供の才能をつぶす大人は実に多い。
え?絵で食べる?アニメ?美大?
いやいややめとけ 食べていけないからとその道を閉ざすのは親だ、大人だ、社会なんだろうと思う。
しかしこれからの時代、絵心、デザイン、センスといったことを抜きであらゆる職業が進化していくことは難しいし、そういう感覚が無い会社も人も淘汰されていく。
時代は豹変しているよ。これからの時代、日の目を浴びる人の常識が変わってくるはずだ。
息子は生きづらさを抱える性質でありながら、その腕一本で
独り立ちを果たした。心配事は今だあるけれど、夢を持って描き続ける日々は耀いている。10月からは新しいテレビ連載が始まるようで相変わらずいつ寝てるのかわからん生活だけど、それがきつい、嫌だ、という感情は微塵もない。それどころか 死にそうになっても まだ描きたい、更に上手くなりたい、魅力的に絵を動かしたい、という情熱に支えられている。おかげ様で昨年彼の名前は一本の映画のエンドロールに刻まれた。
日本のアニメが強いのはこういう人間の集まりだからなんだろう。
ところで冒頭にある 刺さる古き佳き趣の選択。わざわざそうすることの意味について、ですが
彼が住まいに選んだのは昭和レトロな古びたマンションで
4階までエレベーターなし、風呂場のタイルが懐かしい風情重視の物件だった。同じ家賃でユニットバスなど、小奇麗なところを選ぶことも出来るのにそれはせず、「わざわざ」そういうところを選ぶ彼の生き方。しかも驚いたのはあと2年で取り壊されるという。そんなところに「あえて」という感性。
皆がよしとするものがいつも答えな人とは間逆を行く人間だろう。引越しの手伝いで荷物を4階まで運ぶ、それだけで母はふーふーだったし、古いがための様々なトラブルはすでに起きているというのに彼は自分が選択したことに迷いはないようだ。
私と息子の進んだ道は違うが 生き方、センス、そういうものはどう創られるのか?というところに母息子ではなく人間同士としての近さを感じることが多い。
貫く人には何らかの流儀や「わざわざ」「あえて」ということがあって、それも含めてその人だということ。
そのわざわざから独自なセンスはきっと生まれていくのだろう。また生きる精神力というものも。
人間力はこんな様なことが大きく影響する。
画像は息子が暮らし始めた風呂場のタイル&マンション裏の刺さる古き佳き趣に溢れた一軒屋の様子@三鷹。
会社まで ちゃりんこ5分の生活は電車に乗っている間の時間ロスをなくす最適な場のようだ。
思う存分 描くといい。
君の人生をかけて。
