ネットニュースで 電撃ネットワークの南部虎弾さんのお通夜の記事を読んだ
うわあー!
なんて明るくて楽しいお葬式なんだ!
カラッとしててぶっ飛んでて、いかにも電撃ネットワークらしい!
葬式なんてあんなでいい
(まあ、あそこまで派手じゃなくていいけど😅)
「死」なんて悲しいものでもなんでもない
「娑婆の世界」の人生修行からの「卒業」なんだから晴れがましい!よくがんばりました!お疲れ様!おめでたい!だよ
子供の頃から
葬式ってなんであんな真っ黒でじめっと暗いのか、みんな一応に俯いて陰鬱な顔してる空気がほんと嫌だった
どんより感が地縛霊とか呼びそうで嫌だった
昔、母方祖父のお葬式の時、線香の香りと読経の中、小学生の従兄弟が居眠りしだしてイビキをかき出したのがツボってしまい、私含め他の従兄弟全員が肩振るわせて笑いを噛み殺し、それが周りの大人に伝播して収拾つかなくなったことがあった。そのおかげでお葬式はなんともあっけらかんと終わって、子供ながらもなんかいいお葬式で、おじいちゃん送れた…と思った
大人たちもみな「なんかいいお葬式だった」とみな満足そうだった
この南部さんの記事についたコメントも読んだけど
昔に比べて葬式に対する意識がかなり緩くなってる人が増えてきた気がしたよ
亡くなり方が非業の死とかでないなら
↓
・喪服でなく明るい衣装で送って
・葬式いらないぐらい。服装は自由で
・檀家でもないなら形式ばるのはよそう
・遺体の後処理は法に従ってやる必要はあるけど、坊さんなしの火葬だけ、仏壇も不要、墓は集合墓でよし
…etc
いやいや価値観の進化がすごくいい!
冥王星が水瓶座入りしたとたん、こんな柔軟な価値観が普通に表に出せるようになっている!
めっちゃええやん! すごく風通しがいい!
大いに結構、賛同する
も、さ、形式張ることの無意味さよ!
戒名つけるのも文字数や居士や大姉とか添え語にも金額ランクがあったり、あれ全部お寺が儲かるためにあるだけだし
あんなものいらん
墓の中には魂はいないから墓も不要だ
法事だなんだと形式に則ってやるたび、準備やお布施もかなりする
これも意味なくない?
「お金は生きてる時に使え」
義父が、義母が亡くなった時にかなり奮発してたいそうな戒名をつけてらしたけど(ごく普通の、つましい家庭です)苦労をかけたからせめて戒名ぐらいは、というのだけど…
気持ちはわからなくもないけど…
私はその時、(そんな思うんだったらなんで生前元気だった頃に生活環境良くしていっぱい楽させてあげなかったんだ怒)と思ったよ
お金のかけどころが違うでしょう、と。
ドライな言い方になってしまうけど
亡くなった人にいくらお金かけたところで(本人はいないのだから)その行為はあくまで自己満の域を出ないと思うよ
形式ばった葬式は
無駄なことが多すぎる
これら全て"故人を偲ぶため"が起点なんだけど
"型や物"に頼り過ぎてる
"偲ぶ"だけなら心の中だけで十分可能だし、
"忘れていく"のは自然の摂理であり、普通のこと、悪いことじゃない
むしろ"いつまでも覚えている"ことが、かえって縛りになってしまい、気持ちが自由にならないことにも繋がる
まあ、そうは言っても旧来の習慣が好きな人もいるから人それぞれの価値観でやればいいけれど、
間違ってもこれからは、今までみたいに
きちんと型通りにしないと非常識だ、と人を断罪するような価値観の押し付けはダメだと思う
私が言いたいのは旧来の伝統的習慣は今の価値観にはそぐわない、かなり無駄な部分が多いぞ、本当に必要なものはなにか精査が必要だよ、ということだ
だけどね
どんなに古めかしくても残す必要のある伝統も、かたやあると思う
それはやっぱり日本人の精神性や民族特質が顕著に現れているような伝統文化だ
花道・茶道・香道・かな書道・着付け・和裁・民藝・陶芸・染色・和紙・織物・和筆・工芸…あと何があるかな
これらは日本人の手先の器用さ、感覚の鋭さ、美意識の高さが如何なく発揮されたもの
他民族には決してない独自性の強いものだ
「日本人」そのものを表すものだ
こういったものはどんなに古めかしくても
絶対になくしていってはいけない
そこに「自分たちのルーツ」があるからだ
それにひとりでも多くの人が気づいて後に続く人が増えてほしい、と切に想っている
だけど…
それにはその世界に飛び込んでも十分生活できる収入環境の改善とか、技術習得になにかと名目つけて見えないお金がかかる悪しき古い習慣を(特に習い事系)その世界の上に立つ人たちがなくしていかないとなかなか先の存続は厳しいだろうなぁ…と憂いてる