『東京たてもの園』の続きです(๐́•ᴗ•๐̀)
東ゾーンは、下町の風情を楽しめる展示になってます。
東ゾーンの配置です。
野外展示物上野消防署
江戸時代以来、火災の発見には火の見極めが大きな役割を果たすという事で、火の見櫓を置いていました。
この望楼は上野消防署で1970年(昭和45)まで使用されていたものを解体し、一部をここに展示してます。(三脚四層式外型で、当時の高さは約 23.6m。展示しているのは、上部およそ7mほどの部分)
【E-8】万世橋交番
神田の万世橋のたもとにあった交番で、関東大震災と共に大きな被害を受けました。以前のままのデザインで復元されました。
交番の横の橋には皇居正門石橋装飾電燈が展示されてます。
交番の中は奥はダメですが入れるので、中に畳に布団が置いてある様子も見れますよぉ〜(*^^*)
野外展示物都電7500形
黄色に赤いラインの可愛い都電🚃ここも中へ入れます![]()
車内の床は木だし、扇風機や、押上式の窓とか、昭和感満載です(((o(*゚▽゚*)o)))
【E-10】丸二商店(荒物屋)
昭和初期に建てられた荒物屋で、小さい銅板片を巧みに組み合わせて模様をかたち作り、建物の正面を飾っているのが特徴の建物です。
店内は昭和10年代の様子を再現してます。よく見ると全てが懐かしい物の宝庫でした(*^^*)
食べもの処『蔵』
その名の通り、蔵のリノベーションです。
ここでちょっとお昼ご飯休憩( ^-^)_旦”
ここでは武蔵野うどんが頂けます
そして、喉を潤すために瓶ビールを二人で1本❣️( ∩’ω’ )=͟͟͞͞⊃🍻=͟͟͞͞⊂( ‘ω’∩ )
【E-6】武井三省堂(文具店)
明治初期に創業した文具店で、当時は書道用品の卸しをしてましたが、後に小売店に変わりました。
看板建築で前面がタイル張りになってます。
ここは「千と千尋の神隠し」の釜爺が働くボイラー室のモデルと噂される文房具店です。壁一面に並ぶ小さな引き出しは薬草の薬箱そっくりです。
【E-7】花市生花店
昭和初期に建てられた看板建築の花屋で、陳列は昭和30年代の様子を再現しています。
窓枠が白で全体的に花屋らしい洋風のデザインになってます。
花の種類は多くは無かったんてすね(*^^*)❁⃘*.゚
【E-9】植村邸
こちらは個人宅なのですが、看板建築をよく表してるのが特徴。1階が洋風で2階か和風。木造でありながら、外側を銅板で覆い防火に備えているという貴重な建物です。
個人宅なのに商店と一緒に並んでいるのは当時の街並みを再現する事で、イメージが湧きやすいようにしているようです。
この看板建築という聞きなれない建築方法のパネルがこちらにありました。
【E-13】大和屋本店(乾物屋)
港区白金台に1928年(昭和3)に建てられた木造3階建ての商店です。3階の軒下を伝統的な出桁造りにする一方間口に対して背が高く看板建築のようなユニークな建物で、戦前の様子を再現しています。
算盤🧮の珠の数が今は上が1つ下は4つですが、昔の算盤は下の珠が5つあったんですね🧮繰り上げる時難しく無かったのかなー?この時代のレジは重厚感がありますねー😊船の機関室の計器を参考に作られていて、とてもかっこいいです❣️
黒電話は、私は使ってた事あります📞ダイヤルを回して、戻るのが遅くて手で無理やり戻してたのを覚えてます。絶対みんなやってたんじゃないかと思ってる私です。
タバコ売りの窓口😗🚬💭こちらも懐かしい〜♡子供時代、小遣い欲しさに、おばあちゃんの煙草を買いに小銭を握りしめてお使いしました。未成年に売らない今では考えられませんよね🙂
【E-12】川野商店(和傘問屋)
傘づくりが盛んであった江戸川区小岩に1926年(大正15)建てられた和傘問屋の建物。内部は1930年(昭和5)頃の店先の様子を現してます。
番傘の作り方の工程を詳しく解説してありました。作り方の工程が好きなので小さくまとめてますが気になる方は画像大きくしてみてね︎ ︎☂︎
これは私の好みで載せますが、自分で番傘作ってみたいわぁーと思いながら眺めてきました。
【E-2】小寺醤油店
大正期から現在の港区白金で営業していた商店。
庇の下の腕木とその上の桁が特徴の出桁造りの店です。
醤油店だったんだ
酒屋かと思った!と思うくらい
お酒が沢山並んでます。同じ種類がずらーっと(☆∀☆)キラーン!店先には洋酒や日本酒、そして🍑桃の缶詰が綺麗に並んでる店の奥に、味噌や醤油が置かれてます。
店の中の佐渡☆味噌の看板の下の扉をくぐると、隣の蔵へ続いていて、そこへ移動するだけで気温が下がるのが分かります。蔵は石造りなので冷んやりと商品を保管しておくために最適なんですね。
蔵の中には昔のポスターなどを展示してます。
【E-4】子宝湯(足立区千住元橋)
東京の銭湯を代表する建物で、神社仏閣を思わせる大型の唐破風♨️
今回一番盛り上がった銭湯♨️余談ですが
私、小学校の頃はお家にお風呂がなかったので、銭湯に通ってたので(*´艸`)とっても懐かしい〜♡風呂上がりのコーヒー牛乳とか好きだったな(๑♡∀♡๑)
私の通ってた時代はお風呂屋さんの前とか、まだ舗装されてないから砂利道だったのよ!お風呂入ったのに💢って、なんか怒られた記憶があるわぁ
転ぶと膝小僧に砂利入ってしまってね〜水道水で洗って赤チン塗ってたなぁ…凄く染みて痛かった😭
赤チン知ってる人…まだ居ますよね( ˶'ᵕ'˶ )
ここはちょっと多めにレポートしちゃいます❣️
銭湯の入り口にある暖簾をくぐると両サイドに下駄箱があって、左右に男湯♨️女湯♨️と分かれて入って行きますが、番台で顔見えるんですよね︎(H* ॑꒳ ॑*)ㅅ(* ॑꒳ ॑*Y)︎︎写真では扉開いてますが、営業してる時は閉まってるので、脱衣場は見えなくなります(*^^*)
写真は、左側男湯![]()
左側女湯で載せます❣️
銭湯の壁画は男湯には富士山🗻女湯は富士の裾野が描かれてるのが関東風なんですね。
ペンキの発祥地が東京だったので、銭湯の壁画は関東が多いとか?関西の方はタイルで絵を作ってる所が多いらしいですね。
銭湯で描いてはいけない描かあるのはご存知ですか?実は「猿」「夕日」「紅葉」はタブーなんです。「猿」は客が去る「夕日」は景気が落ちる「紅葉」は赤字になる。そんな理由があるようです。
浴槽は、3つに分かれてるのは温度の違いがあるからです。熱湯と温湯、そして水風呂(*^^*)
洗い場は男湯と女湯の違いに気付いた方いるかな〜(*´艸`)女湯の方が鏡が大きい![]()
♨️今は当たり前のようにあるのに昭和の銭湯に無いもの
なーんだ⁉️
答えはシャワーなんです🚿しかも女性は洗髪する為に追加料金を10円支払わなくてはいけませんでした。金額も昭和感ありますよね〜(*^^*)
赤ちゃんの体重を測るのもベビーベッドも女湯ならでは(^◎^)ですね👶
入浴者心得も読むとなかなか面白い☺️とくに下の方をよく洗うことꉂꉂ ⱴ(-͈᷄ ̫̈-͈᷅ ⱴ)ぷぷぷパパちゃんが声に出して読むから笑っちゃいました。
個人的に盛り上がりますがキリが無いので次に進みます。
【E-3】鍵屋(居酒屋)
台東区下谷の言問通りにあった居酒屋で、最震災難を免れたと言われる建物と店内は1970年(昭和45)頃の姿です。
全体的に木造の温かみが感じられる趣のある建物と、居心地の良さそうな店内です。
こちらも八百万の神々が疲れを癒すために訪れる、湯バァバの経営する架空の「油屋」のモチーフとなったと言われる居酒屋です。
【E-14】万徳旅館
江戸時代末期から明治時代初期からの旅館で、青梅市西分町の青梅街道沿いにありました。
外観は創建当初に近い姿で、中は1950年(昭和25)頃の旅館の様子を復元しています。
部屋は襖だけで仕切られていて、ちょっとオープンな感じの旅館ですが、昔の宿屋はこんな感じだったんですねー😊
知らない人が襖1枚で隣で寝てるのかぁ…ちょっとやだな〜
【E-11】村上精華店(化粧品屋)
台東区池之端の不忍通りに面して建っていた化粧品屋です。昭和前期にら、化粧用のクリーム、椿油や香水等を作って、卸売や小売を行っていました。
正面に人造石洗い出しで、イオニア式(古代ギリシャの建築方法)の柱を表現するなど、当時としてはとてもモダンな造りとなってます。
建物の中は、現在の化粧品屋からは想像のつかない雰囲気で、当時の女性は対面式で化粧品を購入していたのかなぁ?なんか買いずらそうな気がする🤔
私の母は子育て中はほとんどノーメイクで過ごしていたから、こういう所には行ったこと無い人だった。
【E-1】天明家(農家)
江戸時代、鵜の木(現在の大田区内)で重職を務めた旧家です。正面に千鳥破風をもつ主屋・長屋門・枯山水などに高い格式がうかがえます。
表札が凄い立派❣️入り口までのアプローチや、門構えなどなど、何処か政治家さんが利用しそうなの料亭みたいだわ〜なんて思いながら中へ進みます。
建物の中へ入ると、玄関や、お台所、囲炉裏などなど、こんなに立派ではなかったけれど、父の(建て替える前)実家みたいな造りだなぁーと思い、少し懐かしい気持ちになりました。
ここにあったか見落としてるかもですが、父の福島にあった電話は壁にかけてあって、交換手の人に繋がるレトロな電話もあるかな〜?と思ったのですが無かったみたいだなぁ〜。やはり東京だから普通の黒電話だったのかもしれませんね。
見た順番は番号通りではありませんが、だいたい東ゾーンはこんな感じです。
最後は「山の手通り」に面してさまざまな建築様式の住宅の復元や、江戸時代に建てられた茅葺きの民家のある西ゾーンへ向かいます。




























