【幸せなお金を生み出すパーソナル講座】の3回目のセッションの体験談をmixiで書いてくださったはだしの圭さん(はだしのKさんから改名♪)
そして彼女はアメブロを開設し 、ご自身の想いを伸び伸びと書いていらっしゃいます♪
私のブログで紹介させていただいたら既にはだしの圭さんファンが(^^)
彼女の文章、とっても正直で伝わってきます♪
私は圭さんの文章が大好きです!
是非読者登録してみてくださいね^^
(ただし心のどこかで少しでも営業目的があったら読者登録はナシね♪お互いに気持ちよく^^)
はだしの圭さんの体験談『手を抜いている場合じゃない 』
~*~*~*~*~*~*~*~*~*~
西山いずみさんの「幸せなお金を生み出すパーソナル講座」の3回目となるセッションを受けた。
今回は特に悩みもないし、ずっとやらなくてはと思っていたのに手をつけなかった、仕事でお世話になった方々へのお礼も済ませたし、さて何を話そうか?というぐらいな気持ちでスタート。
あとであんなにダダ泣きすることになろうとは、そのとき1ミリも思っていなかった・・・(笑)。
初めにわきあがって来たのは、前回のセッションで話の中心になった、身近な人との関係。
ごく最近、ずっと言えなかった気持ちをやっと伝えることができて、心に風穴が空いたような気持ちになったということを話した。
そのきっかけになったのが、とあるワークショップで浮き上がってきた過去生の解放だった。
私には奴隷として生きた過去があり、そのときに感じていた強烈な無力感や男性全般に対する不信感を引きずっていたことがわかったのだ。
その過去が本当にあったかどうかはわからないし証明のしようもないけれど、私にとっては真実だった。
その通りのことをいずみさんに話すと、
「これで、これから先にもいろんなことが相手に言えるようになるね」という言葉が返ってきた。
そうか。
相手との関係で起こっていた問題だから、これですべて解決してあとは何もなしってワケにはいかないのか。
でもまあ言いたいことを初めて言えたわけだし、今回はこれでよかったんだな。
そんなことを思っていると、いずみさんからこんな問いかけが飛んできた。
「他にもなんかあるよね?」
えっ?
この他に??
何が???
まさかの問いかけに頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになったが、今日はこのまんま解放とは行かないことだけは、直感でわかった。
いま話したこと以外の何かがあるとは思っていなかったので、必死に心の中をサーチライトで照らすようにして探すと、あることが浮かんできた。
それは、友人との間に生まれた誤解だった。
私が意図した言葉の真意が伝わらなくて、戸惑っていたのだ。
でもよくあることだしと思って、何でもないようなふりをしていた。
大人なんだし、これぐらいで悲しくなるなんてカッコ悪い。
こんなことで傷ついてどうする?
「わかってもらえなくて悲しい」という気持ちがもたげて来そうになった瞬間、自分にそういい聞かせてとっさに大丈夫なフリをした。
ぜんぜん大丈夫なんかじゃなかったのに。
でもフリはあくまでフリだった。
「とっても悲しかったんだね」と言われた瞬間、砂上の楼閣のような「大丈夫」はいともあっさり崩れ、私は携帯を握ったまま泣き出した。
「ホントはそんなつもりで言ったんじゃないのに…。誤解されて、すごく悲しかった」。
それが本当の気持ちだった。
子どもじみているかもしれないけど、悲しかった。
わかってもらえないことが、ただ悲しかったのだ。
素直に気持ちを表すと、体からヘンな緊張感が抜けていったのがわかった。
私が悲しいと感じたことは、よくも悪くもない。
ただそう感じただけなのだから、ムリヤリ「大丈夫」なんて思わなくてもよかったのだ。
そんなことを話し続けているうちに、これが自分のパターンなんだということに気がついた。
違和感が芽生えても「どうせ大したことないから」と、なかったことにしてしまうことが数え切れないほどあった。
それが私の「当たり前」になっていた。
その根本にあるのは、自己評価が低さだった。
誰かの話や行動に違和感を感じても、
「自分の違和感なんて取るに足らない。相手の言ってることの方が正しい」
としか思えなかった。
自分は常に間違っていて、相手は常に正しい。
あれ?
これって何かに似てない?
そう。
奴隷と主人の関係そのものではないか。
自分は取るに足らない間違った存在だから、何を言う権利もない。意見など持ってはいけない。ただ従うだけ。
なんて悲しい、なんて力を奪う考えだろう。
書いているだけで無力感がいっぱいになってしまう。
でも私は、まさにこの気持ちのまま過ごしていたのだ。
おそらくは奴隷として生きた過去からずっと。
こんな考えで生きていたら、苦しくならないほうがおかしい。
「違和感って、大事だよね」。
そう言われて初めて、自分の中の違和感を大事にしていいのだと思った。
違和感を抱くのはよくないことのように思っていたけれど、違和感は私のあり方を教えてくれる、羅針盤のひとつなのだ。
時計に目をやると、90分のセッションは残すところあと10分あまりになっていた。
思い切り泣いたし話したし、今日はだいだいこんなところかな。
…と思ったのだけれど、まだ続きがあった。自分で自分にビックリするような続きが。
でも長いから「待て、次号!」(笑)
というわけで、後編に続きます。
今回は特に悩みもないし、ずっとやらなくてはと思っていたのに手をつけなかった、仕事でお世話になった方々へのお礼も済ませたし、さて何を話そうか?というぐらいな気持ちでスタート。
あとであんなにダダ泣きすることになろうとは、そのとき1ミリも思っていなかった・・・(笑)。
初めにわきあがって来たのは、前回のセッションで話の中心になった、身近な人との関係。
ごく最近、ずっと言えなかった気持ちをやっと伝えることができて、心に風穴が空いたような気持ちになったということを話した。
そのきっかけになったのが、とあるワークショップで浮き上がってきた過去生の解放だった。
私には奴隷として生きた過去があり、そのときに感じていた強烈な無力感や男性全般に対する不信感を引きずっていたことがわかったのだ。
その過去が本当にあったかどうかはわからないし証明のしようもないけれど、私にとっては真実だった。
その通りのことをいずみさんに話すと、
「これで、これから先にもいろんなことが相手に言えるようになるね」という言葉が返ってきた。
そうか。
相手との関係で起こっていた問題だから、これですべて解決してあとは何もなしってワケにはいかないのか。
でもまあ言いたいことを初めて言えたわけだし、今回はこれでよかったんだな。
そんなことを思っていると、いずみさんからこんな問いかけが飛んできた。
「他にもなんかあるよね?」
えっ?
この他に??
何が???
まさかの問いかけに頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになったが、今日はこのまんま解放とは行かないことだけは、直感でわかった。
いま話したこと以外の何かがあるとは思っていなかったので、必死に心の中をサーチライトで照らすようにして探すと、あることが浮かんできた。
それは、友人との間に生まれた誤解だった。
私が意図した言葉の真意が伝わらなくて、戸惑っていたのだ。
でもよくあることだしと思って、何でもないようなふりをしていた。
大人なんだし、これぐらいで悲しくなるなんてカッコ悪い。
こんなことで傷ついてどうする?
「わかってもらえなくて悲しい」という気持ちがもたげて来そうになった瞬間、自分にそういい聞かせてとっさに大丈夫なフリをした。
ぜんぜん大丈夫なんかじゃなかったのに。
でもフリはあくまでフリだった。
「とっても悲しかったんだね」と言われた瞬間、砂上の楼閣のような「大丈夫」はいともあっさり崩れ、私は携帯を握ったまま泣き出した。
「ホントはそんなつもりで言ったんじゃないのに…。誤解されて、すごく悲しかった」。
それが本当の気持ちだった。
子どもじみているかもしれないけど、悲しかった。
わかってもらえないことが、ただ悲しかったのだ。
素直に気持ちを表すと、体からヘンな緊張感が抜けていったのがわかった。
私が悲しいと感じたことは、よくも悪くもない。
ただそう感じただけなのだから、ムリヤリ「大丈夫」なんて思わなくてもよかったのだ。
そんなことを話し続けているうちに、これが自分のパターンなんだということに気がついた。
違和感が芽生えても「どうせ大したことないから」と、なかったことにしてしまうことが数え切れないほどあった。
それが私の「当たり前」になっていた。
その根本にあるのは、自己評価が低さだった。
誰かの話や行動に違和感を感じても、
「自分の違和感なんて取るに足らない。相手の言ってることの方が正しい」
としか思えなかった。
自分は常に間違っていて、相手は常に正しい。
あれ?
これって何かに似てない?
そう。
奴隷と主人の関係そのものではないか。
自分は取るに足らない間違った存在だから、何を言う権利もない。意見など持ってはいけない。ただ従うだけ。
なんて悲しい、なんて力を奪う考えだろう。
書いているだけで無力感がいっぱいになってしまう。
でも私は、まさにこの気持ちのまま過ごしていたのだ。
おそらくは奴隷として生きた過去からずっと。
こんな考えで生きていたら、苦しくならないほうがおかしい。
「違和感って、大事だよね」。
そう言われて初めて、自分の中の違和感を大事にしていいのだと思った。
違和感を抱くのはよくないことのように思っていたけれど、違和感は私のあり方を教えてくれる、羅針盤のひとつなのだ。
時計に目をやると、90分のセッションは残すところあと10分あまりになっていた。
思い切り泣いたし話したし、今日はだいだいこんなところかな。
…と思ったのだけれど、まだ続きがあった。自分で自分にビックリするような続きが。
でも長いから「待て、次号!」(笑)
というわけで、後編に続きます。
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前編からの続きです。
自己評価が低いために、自分の気持ちを大事にできなかったそれまでの自分の姿が見え、少し楽になった私はいずみさんにこう伝えた。
「これまでの自分に『ご苦労さま』って言ってあげたいです」。
これに対していずみさんからは意外な言葉が返って来た。
「けいこさんの中にふたりの人がいて、上下関係ができてる気がするなあ」。
ふたりの私の間に上下関係?
正直言って何のことだかわからなかったけれど、こういうことだった。
「けいこさんはいま、過去の自分に『ご苦労さま』っていう言葉を使ったけど、『ご苦労さま』は目上が目下に使う言葉だよね。
けいこさんの中に目線の低い人と上から目線の人とふたりいて、自分のなかで上下関係を作っちゃってるんじゃないかな」。
どこまでも自分を卑下する自分と、傲慢な自分。
確かに私の中にはそんなところがあった。
上から目線の自分が、オドオドして小さくなっている自分に、尊大な態度で「ご苦労さま」と言っている様子が容易にイメージできた。
でも、そもそも私はその言葉が嫌いだったはずだ。
前回のセッションでも、ある人に頼まれていくつもの用件をこなしたときに「ありがとう」ではなく「ご苦労さま」と言われてめちゃくちゃ腹が立ったと、いずみさんに訴えていたではないか。
「ご苦労さま」って、なに?
何かをしてもらったら「ありがとう」でしょうが。
そう言って怒り狂った。
なかには気にならない人もいるだろうけど、たとえば職場の上司のように職務上の立場が上、という人以外にそんなふうに言われたら私はすごく腹が立つ。
対等に扱われていない。見下されている。大事にされていない。
そんな風に感じるのだ。
そう思っていたのに、自分に対しては平気で同じことを言っていたんだな。
もし私のなかにふたりいるとしたら、言った方は気分がいいかもしれないけれど、
言われた方は「はあ…」とか言って黙るしかないよな。
勝手に「下の身分の者」と決めつけられては、立つ瀬がないではないか。
「上の人」の言うことを黙って聞くだけの「下の者」。
これってつまり、自分の中に主人と奴隷の関係を作っているってことだ。
ここまで過去のことを持ち越していたのかと思うと、けっこうショックだった。
ワークで解放はしたけれど、自分では一体どうしたらいいんだろう?
いささかしょんぼりしていると、いずみさんが助け舟を出してくれた。
「主人でも奴隷でもない、ニュートラルな第3者が活躍してくれたらいいよね」。
そうか、それだ!
何かの拍子に傲慢になる自分も嫌だし、自分の意志ひとつ言えない無力な自分も心地よくない。
こんなふたりでも切り捨てたりはできないから、そのどちらでもない真ん中の人をこれから育てていけばいいのだ。
その人に両者の間に入ってもらって「まあまあ」とか言ってもらえばいい。
そして少しずつ、主人でも奴隷でもない、真ん中の自分になっていけばいいんだ。
道のりは長いけれど、ほかでもない自分とのつきあいだ。
まあ、気長に行こう。
こんな風にして3度目のセッションが終わった。
今回は直接お金の話題にはならなかったけれど、こうやって自分のパターンに気づいたり、過去から持ち越してきた荷物をへらしたりして通りをよくすることが、まわりまわって豊かな生き方につながるのだと思っている。
どんどん身軽になって、いろんな楽しいこと、うれしいことをみんなにグルグル回せる自分になって行きたいなと思う。
自己評価が低いために、自分の気持ちを大事にできなかったそれまでの自分の姿が見え、少し楽になった私はいずみさんにこう伝えた。
「これまでの自分に『ご苦労さま』って言ってあげたいです」。
これに対していずみさんからは意外な言葉が返って来た。
「けいこさんの中にふたりの人がいて、上下関係ができてる気がするなあ」。
ふたりの私の間に上下関係?
正直言って何のことだかわからなかったけれど、こういうことだった。
「けいこさんはいま、過去の自分に『ご苦労さま』っていう言葉を使ったけど、『ご苦労さま』は目上が目下に使う言葉だよね。
けいこさんの中に目線の低い人と上から目線の人とふたりいて、自分のなかで上下関係を作っちゃってるんじゃないかな」。
どこまでも自分を卑下する自分と、傲慢な自分。
確かに私の中にはそんなところがあった。
上から目線の自分が、オドオドして小さくなっている自分に、尊大な態度で「ご苦労さま」と言っている様子が容易にイメージできた。
でも、そもそも私はその言葉が嫌いだったはずだ。
前回のセッションでも、ある人に頼まれていくつもの用件をこなしたときに「ありがとう」ではなく「ご苦労さま」と言われてめちゃくちゃ腹が立ったと、いずみさんに訴えていたではないか。
「ご苦労さま」って、なに?
何かをしてもらったら「ありがとう」でしょうが。
そう言って怒り狂った。
なかには気にならない人もいるだろうけど、たとえば職場の上司のように職務上の立場が上、という人以外にそんなふうに言われたら私はすごく腹が立つ。
対等に扱われていない。見下されている。大事にされていない。
そんな風に感じるのだ。
そう思っていたのに、自分に対しては平気で同じことを言っていたんだな。
もし私のなかにふたりいるとしたら、言った方は気分がいいかもしれないけれど、
言われた方は「はあ…」とか言って黙るしかないよな。
勝手に「下の身分の者」と決めつけられては、立つ瀬がないではないか。
「上の人」の言うことを黙って聞くだけの「下の者」。
これってつまり、自分の中に主人と奴隷の関係を作っているってことだ。
ここまで過去のことを持ち越していたのかと思うと、けっこうショックだった。
ワークで解放はしたけれど、自分では一体どうしたらいいんだろう?
いささかしょんぼりしていると、いずみさんが助け舟を出してくれた。
「主人でも奴隷でもない、ニュートラルな第3者が活躍してくれたらいいよね」。
そうか、それだ!
何かの拍子に傲慢になる自分も嫌だし、自分の意志ひとつ言えない無力な自分も心地よくない。
こんなふたりでも切り捨てたりはできないから、そのどちらでもない真ん中の人をこれから育てていけばいいのだ。
その人に両者の間に入ってもらって「まあまあ」とか言ってもらえばいい。
そして少しずつ、主人でも奴隷でもない、真ん中の自分になっていけばいいんだ。
道のりは長いけれど、ほかでもない自分とのつきあいだ。
まあ、気長に行こう。
こんな風にして3度目のセッションが終わった。
今回は直接お金の話題にはならなかったけれど、こうやって自分のパターンに気づいたり、過去から持ち越してきた荷物をへらしたりして通りをよくすることが、まわりまわって豊かな生き方につながるのだと思っている。
どんどん身軽になって、いろんな楽しいこと、うれしいことをみんなにグルグル回せる自分になって行きたいなと思う。
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【お金の循環グリッド】の画像報告は後日行いますね♪
☆報告です☆
【お金の循環グリッド】到着のご連絡ありがとうございました。
返信不要と書いてくださった方も沢山いらっしゃいましたので
お言葉に甘えさせていただきました♪
グリッドをお申込みの方の特典の【お金の循環】の遠隔セッションは
伊勢神宮に行ってきた日(9月29日)に伊勢のホテルの部屋にて行いました♪
特典としての遠隔セッションでしたので
事前にお伝えしていた通り、ブログでのご報告とさせていただきます。
10月の予定でしたが伊勢に行く前に全ての発送を終えたので
折角なら伊勢神宮に行ってきたそのエネルギーで・・・・と思ったので・・・(*^^*)
グリッドの効果をより強化するための遠隔セッションでもありましたし
知らないうちに受けていただくことでより自然に潜在意識で受け取っていただきたくて
日程のご連絡を特に希望されない限り行わずにそっと行ったことをご理解ください。
伊勢神宮の画像日記にコメントをありがとうございました☆
とっても嬉しかったです♪
コメントのお返事もおひとりおひとり向き合いながら行っているので
どうしても時間がかかってしまいますが
後日必ずお返事します☆
いずみさん忙しそうだから・・・と遠慮せずに
いつでも日記にコメントくださいね♪
とっても励みになるし嬉しいです!
読者登録もありがとうございます。
後日改めてメッセージくださった方にはご挨拶に伺います♪