昨日のブログに書いた、
どうして、苦いコーヒーがカフェオレになったか、というお話。
どうして私が、大好きな担任の先生から言われた
「のろまの〇〇ちゃん」
という言葉を無かったことにしていた、
とわかったのかというお話です。
私は、娘と喧嘩をするたび、
いつも同じパターンで、落ち込んでいました。
私が描く理想のママは、
なんでも大らかに受け入れ、
いつも優しくて、
穏やかで、
子どもに暴言なんて決して吐いたりしない人。
そんな人になりたい、って思ってるのに、
またピーちゃんと喧嘩して、しかも怒鳴りつけて
何でこんな風に言っちゃうんだろう、
何でこんなに頑張ってるのに
目指してる理想のママになれないんだろう、
何で?何で?
私なんて、ダメな母親だ…。
ってな感じで。
そんな時、ある方から言われました。
「あなたはほんとによくやってるよ。
喧嘩したっていいんだよ、悪かった、と思ったら
ちゃんと謝ればいい。
ママはね、ついこんなふうに、カッとなっちゃうんだよね、ごめんね、 って。
今の自分を認められずに、
理想のお母さん像ばかり追いかけて
そうなれない自分を責めて
深く落ち込む、
いつもそれを繰り返してるんじゃない?
理想のお母さん=良いお母さん
じゃなくてもいいんだよ。」
そう話してくれて、最後に、
「…あなた、子どもの頃、自分はダメな子だ、
なんて思ってた?」
って、質問されたんです。
その時に、
そう言えば…こんな事ありました。って、
その方に初めて幼稚園時代の話をしました。
「あ…そうなんだね…。」
話すと同時に、
「私…、あの事無かったことにしてたんだ…!」
って思ったんです。
私達親子をずっと見守って応援してくれる、
すごく信頼しているその方が、
「すごくよくやってるよ、
あなたが私のお母さんだったらよかったのに、
って思うくらいだよ」
と、何度言ってくれても、
ちっともその言葉を認められず、
受け取れなかった。
その理由の一つはそこにあったんです。
でも、今は、
ダメな自分もそれでいい。
どんな自分も、
過去の、子ども時代の自分もひっくるめて
認めてあげられるようになったから、
苦いコーヒーがカフェオレになりました。
自分で自分の機嫌を取るのも上手になったから、
さらに美味しくなってます。
もし、心の中に、
無かった事にしたいくらい辛い出来事を
仕舞い込んでる子がいるとしたら、
苦〜いコーヒーを
隠し持ってる子がいるとしたら、
きっと、
大好きな人から、ギューっと、
抱きしめてもうことで少しずつミルクが足され、美味しいカフェオレになるんじゃないかと思います。
そのギューは、
何かが出来たから、ご褒美のギュー、
とかじゃダメです。
ただ、そこにいるから、ギュー。
生きててくれるから、ギュー。
の、ギューです。
ただの、シンプルなギューでいいんです。
苦いコーヒーは
心の中から消すことはできないけど、
カフェオレにすることはできる。
苦くて飲めないコーヒーは、
持ってたら困るけど、
カフェオレにしてしまえば、美味しく飲めるし、
人にも振る舞える。
美味しい入れ方だって教えてあげられる。
そう思います。
