今まで気が付かなかったのですが、アメーバでは動画配信もやってたのですね。

昨日、 「凪のあすから」というアニメが一挙配信されるとマイページで知りました。

この作品、見逃した話がいくつかあったので、観てしまいました。


「凪のあすから」は、《海人》と言われてる海の底で暮らす人たちと、陸で暮らす人たちの交流を描く、ファンタジーを織り込んだ現代の青春群像劇です。

中学生の男の子が主人公なのですが、幼馴染の女の子が好きで好き過ぎて、その子が他の男に恋したと思いこんで、かなり痛い行動をしてるのが見ていて切ないです。

でも、後半の2クール目になると、この男の子の行動に、余裕が感じられるようになります。

おそらく、彼に対して「好き」と思ってくれる別の少女が現れたことが大きいのではと、見てて感じました。


個人的な感想ですけど、「好き」と思ってくれる相手がいることって、とてつもなく幸福で、それだけで自分がここにいるという安定感が生まれるのだと思うのです。

それが意中の相手でなくても、やはり嬉しいものだと思うんです。

たくさんの人の中から、選んで「好き」になってもらえた幸運を感じれたからこそ、自分自身の存在意義を認められ、心が満たされていくのでしょう。

与えられたから満たされる気持ちが、行動にも余裕が生まれていくのだろうと思うんです。


私達は、大抵の人達は、誰かに「好かれる」こと、「愛されること」を求めて、右往左往しています。

誰もが、「好かれたい」「愛されたい」と望むのです。

だけど、望めば望むほど「好かれる」ことから遠のいていってしまいます。

「好かれないのは、自分から好きになってないからだ」「まずは、自分から愛さないと」と、呪文のように愛をばら撒く人がいます。

でも、そうした「好かれたいから」の好意は、期待が大き過ぎて、求めるものが貰えなかった時の反動が怖い時もあります。


「まずは、自分から愛しましょう」というフレーズをよく聞きますが、これは正しいのか疑問です。

のどの乾いた者に、水を差し出せ、と言ってるのと同じように思うのです。

愛情の飢えた者に、愛情を期待するのも、酷なように思えるのです。


そんな者にとって、「好き」と言ってもらえること、好意をもらえることは、まるで砂漠で水を貰えたような感激なのです。

ただそれだけで、心が潤ってきて、満たされるのです。

「好かれる」こと、「愛される」こと、それを貰えたからこそ、次の「好き」の送り手になれるのでは、とも思うんです。


今、ニュースで賑わしてるあの事件も、ただ「好きになってもらいたかった」だけなのかもしれませんよね。

そう考えると、切ないです。


とは言え、「好き」は簡単にもらえるものではない時もあります。

そういう時には、無条件で愛してくれる存在~両親~のことに思いを馳せるのがいいのではないでしょうか。


「凪のあすから」は、青春群像劇にありがちな複雑な人間関係が登場しますが、「好き」というピュアな気持ちが描かれていて、とても素敵な物語です。

機会があれば見てみてくださいな。


それでは、これにて。