こんにちは🤗

今回は前回の続きを書いて行きますねヽ(=´▽`=)ノ✨️✨️

「唐松恒太郎君頌徳碑」ですヽ(=´▽`=)ノ✨️
散策の時に頂いた資料「古地図を歩こう」には以下のように説明がありました((o(´∀`)o))ワクワク

唐松恒太郎君頌徳碑


唐松恒太郎先生は安下浦住民の信認厚い唐松家の出身で、明治20年に20歳という若さで安下庄小学校の先生を務められました。
その後22年間の教職生活の大半を校長として努め至誠・慈愛の教育と教育改革をされました。また教職の傍ら明治35年漁業法施行時に安下浦の既得漁業権の獲得に奔走し、それら全てを確保させた。その後教職を辞めて、漁民の強い要望で組合理事長を20年勤めて安下浦の発展に寄与しましたヽ(=´▽`=)ノ✨️✨️
その業績は石碑の裏に刻まれています。
(古地図を歩こう「周防安下庄編」より)

漁業が盛んでも魚はいたんでしまうので、こちらでは多くのいりこ作り屋さんがありましたヽ(=´▽`=)ノ✨️✨️✨️
むかしの商店街でもいりこ問屋が多かった事が「橘町史」に記されています(≧∇≦)b✨️

そこからリハビリウオーキングで長女と歩いた旧道沿いの庚申堂の前を通り古地図にある川(現在は暗渠になっています)を教えていただいき

以前宿題になっていた石祠は三ツ松の森荒神様で昭和30年代までお祭りが行われていたそうですヽ(=´▽`=)ノ✨️
その途中にもあったアーケードの広告塔跡など栄えていた頃の痕跡を色々と教えていただき、松山藩上陸の地まで行きましたヽ(=´▽`=)ノ✨️✨️

次回は長尾八幡宮で宿題になっていた事について書いて行きますね(≧∇≦)b✨️✨️✨️
(明日から母のお世話で小野田に帰省しますので続きがいつになるかわかりません😅)