思うようにならない
嫌な出来事が起こったり、
到底受け容れ難いような
現実に直面した時、
その不完全と思える現実を
「最善であり完璧」と
思うことはできますか?
私はこれまで、
そういう現実に直面した時
自分のコントロールできない状況を
直視できずにいました。
それは、「理想の私」と
大きく離れているし、
なんなら「本来の自然体の私」であれば
そんなことは起こらない、
と思っていたから、
「今、本来の自然体の私」なのではないと
思い知らされることに
悲しみや落胆の気持ちが
湧いてきていたからでした。
でも、もし・・・
受け容れたくはないけれど、
もし、「その状況が最善で完璧な現実」
であるとしたら、
どうでしょうか。
「何が最善やねん、何が完璧やねん」と
ケチつけたくなる気持ちはわかります。
だって、私がそうだったから。
でもね、でもね、
そうやってケチつけたとしても、
受け容れ難くても、
「最善で完璧」なのだとしたら、
どうでしょう。
その一見「最善で完璧」と
思えないような
嫌な出来事だったり
受け容れ難い現実であっても、
それですら
「最善で完璧」なのだとしたら
どうでしょう。
そこには、
「嫌な出来事だったり、
受け容れ難い現実」と思っている現実に
直面して湧いてくる気持ちや感情が
そこに在るのです。
それは、その「嫌な出来事だったり、
受け容れ難い現実」と思っている現実に
直面したからこそ
自分の中に隠されていた気持ちや感情が
日の目を見て
炙り出された、と思うと
やっぱり
「最善で完璧」でしかなかったと
降参するしかなくなるのです。
その現実に抵抗する気持ちですら
「最善で完璧な現実だからこそ」
溢れ出てくるものなのです。
私はずっと、理想の現実や
理想の自分を見ることに必死で、
「今起こっている現実」
というものを直視できずにいました。
だから、自分の気持ちに
蓋をしていたんです。
蓋をしていた、というか、
見るものが違っていたから
隠れていた気持ちや感情を
見ることができなかったんです。
(この場合は、違うもの・・・
幻を見ていたから、
本来直視するはずだった
気持ちや感情と違うものが出ていた
と言ってもいいのかもしれません)
受け容れ難く、直視したくない
現実だとしても、
「それが最善で完璧」だとすると
(というか、それが真実)
隠れていた気持ちや感情に
気づくことができ、
自分の思い込みや設定を
知ることができるからこそ
感情の消化(昇華)ができるのです。
ちょっと抽象的なメッセージですが、
これは、一人で取り組むのは
なかなか至難の技です。
これが一人でできるのなら
あなたは現実創造のマスターで
どんどんと理想の思いを現実として
物理化できるでしょう!
でも、大多数の方は
やっぱり「こんなの最善でも完璧でもない」
と抵抗してしまうのです。
だって、これを「最善で完璧」としたら
今までの自分が積み上げてきたものが
大きく崩れていくような気持ちがするから。
私自身がそうだったから、
その気持ちが痛いほど
わかるから。
あなたが本来見るべきものを見て
そして湧いてきた気持ちや感情は
羅針盤です。
本来の自分自身に出会うための
羅針盤。
その旅は、
一見痛みを伴うかもしれません。
だからこそ、
伴走者という存在が必要なのだと
私は思うのです。
本当の自分、本来の自分という存在は
その気持ちや感情、
気づきを知りたいと思っているのです。
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