受け手(教え子)が感じるモノのは千差万別。






だからこそ指導は自分の教え方が相手に様々な形でつたわってしまう



もっというと自分とは思ってはいない様に捉えられる事があるということ。







自分が思っている風にしか伝わらないと思ってしまう風潮。







おそらく指導者は教え子の技術的な未熟な部分を見つけるのが得意で



それをどうやったら上手くできるかは知っている。







パスが下手なのは、手と足の動きがあっていないとか



本人は肘が曲がっていないと思っているが、きづいていないとか




そういう目につきやすいのはすぐ分かると思います。




だけど自分の教え方が正しく伝わっているのか知れていない。



指導者は指導をしているつもりが教え子は恐怖が大きく


何も伝わっていない。




その事に指導者は気付かない。


気付いていても 【きっとそのうちわかるだろう】 と楽観的にみてしまう。






そううことがあるのかもしれません。




これって幼児虐待などにも同じことが言える気がします。



自分の思い道理にならない人に無理やり思い道理にさせようと


やっきになる。




けどますます自分の思い道理にならないから、怒りながら


伝えようとする。



【そうじゃない】 【なぜできない】 【だれでもできる】






だから教え子が本心でどう感じているか分からない。




もしその人が恐怖を感じてまともに結果が出せないのであれば


それを読み取って練習後などに




『厳しい指導をしてすまない。これは貴方の良さを引き出そうとしているから。


だから俺を信じて欲しい』





と個人的に言えたなら、体罰と感じる人は少ないのかもしれない。





たとえ教え子の気持ちが分からなくとも、教え子に信頼を教えようと思っていれば


指導した内容も伝わり方がちがうと思います。



続く