4月からまた藤本さきこさんの
設定変更大学に再入学しました♡
なんだこの呼び合い方…
そういえば私にとって「仲間」とは
・私も入りたいもの、ほしいもの ってゆーのと
・極力関わりたくないもの
という大矛盾を学生時代からずっと抱えていて
なんかすごく難しいもの。だったし
重いもの。軽く入ってはいけないもの。だった
仲間には
同じ経験をしていたり
長い期間を一緒に過ごしていたり
そういうので培われた絆がある。
その設定から全て展開されてって
学生時代は
「え?何であいつ、転校生のくせに
あのグループ入ってんの?!」とか
「抜けてたくせに、何しれっと戻ってきてんの?!調子良すぎ」とか思ってたんです~ … (笑)😂
仲間なんだから一緒だよね?
仲間なんだから裏切らないよね?
一度裏切ったら仲間じゃないからね?
みたいな。
それを勝手に強要されていた気になっていたし
自分もそんなスタンスでいたんだろう…
…重い😂😂!!
話戻って、だから今回再入学して
これ…わたしも気軽に使っていいのだろうか…
これ…わたしもしれっとやっちゃっていいのか…
と
「絆をもった仲間達」と
「一度は抜けて、そうではない私」を
完全に線引きして
勝手に一人で「仲間感」というものを
つくりだしていたことに気がつきました。
最近、魂と肉体の使い方について
すごく繋がってきてる中、
ここでも
「わたしはコレを楽しみたいか?」と、疑問をもちました。
今すぐ「一緒」「同じ」「あなたもわたしも」にしてもいいのに…
何で今すぐ「一緒」ってことにしたらいけないんだろう?
表面的な薄っぺらい
同じだよ♡
仲良くしてね♡
仲良しだよね?♡
って事じゃなくて
歩んだ道とか、積み重ねたものが違っていても
例えコミュニケーションがなくても
今この場にいるわたしたち。
あなたも、わたしも、一緒♡でもいい。
ならば!
「絆をもった仲間達」と「そうでない私」ではなくて
今すぐ「一緒」の方を楽しみたい
そっちにわたしを使いたい♡
そう思いました。
そして、そうしてみたら「仲間」というものの見方も、
さっきまで捉えていた「仲間感」も
全く違うものに感じるようになったんです。
線引きされた「仲間」を存在させるから
あっちは“あの人の仲間”
こっちは“わたしの仲間”っていう
目に見えない、本来存在しない「枠」を見ていたんだ。
その枠に
絆だとか、一緒だとか、仲間感とか
色んな幻をつけたして
それを楽しむことに自分を使っていただけなんだ。
仲間とは、なるもの。作るもの。
という設定が
仲間ではない私。を存在させていたんだ。
もう本当に、宇宙のルールはとってもシンプルで
今すぐ望む方に向かって、私を使いながら生きる事ができる
やっぱりわたしは
この“わたし”を
ちゃんと使いたい♡
もう一つ、サロン関連での気付きがあったので
続きます
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