こんにちは。
今日は、久しぶりの晴れ

気持ちのいい1日でした。
お母さんがいなくなったら、寂しくてたまらない。
なおです

(天気がいいと、眠くなっちゃうの…
)
)----------
少し間が空いたけど、この記事の続き。
お母さんと子供達との東京旅行2日目は、東京に住む弟夫婦と3月に生まれた赤ちゃんに会いに行った



初めて見る路面を走る都電に乗ったり、早めに東京駅に行って新幹線をいっぱい見たりして、子供達が嬉しそうにしている姿を見て、やっぱり私も嬉しくなった



で、帰りの新幹線。
お母さんは、実家近くの駅で私達より先に降りたんだけど、
お母さんがいなくなったら、急に胸がギュウッとなった私…
胸がギュウッとなって、思わず涙が溢れた



お母さんがいなくなって、寂しかったし、
お母さんともっと一緒にいたかった。
そんな気持ちがいっぱいになって、お母さんが降りた駅を出た新幹線の中で、こらえきれずに子供達の前でワンワン泣きながら、お母さんにLINEした。
お母さんがいなくなったら、寂しくてたまらない。お母さんと一緒に過ごせて、楽しかった。
色々助けてくれて、自由に行動させてくれて、ありがとう。
お母さん、大好き

そう伝えた。
お母さんに、「いなくなって寂しい」とか「大好き」なんて自分の素直な気持ちを伝えるのは、
恥ずかしかったし、
なんだかちょっと、気も引ける気持もあったけど、
「本音は誰も傷つけない」を思い出しながら、高ぶった感情のまま、エイッ
と送信してみた。
と送信してみた。(なんだか、本音を言ったら、お母さんの負担になると思っていたみたい…そんなことないのにね
)
)涙を拭きながら、急に胸がドキドキした

10分位経ったかな…少ししたら、返事がきた。
ドキドキが高まる中、LINEを開いてみた。
私、てっきり、
お母さんも泣くかなーって、思ってた。
「ありがとう」とか返ってくるのかなーって、思ってた。
だけど、返ってきたのは…
「ヨシヨシ」って言う、大きな絵文字だった





その絵文字を見て、
「あー、お母さんは、やっぱりお母さんなんだなー」
そんな風に思えた

LINEを通して、
泣いている私を、そっとヨシヨシしてくれる「お母さん」を感じて、
私がどんな状況にあっても、あったかく包んでくれる「お母さん」を感じて、
今まで「私が役に立たなきゃ」「私が守ってあげなきゃ」と思っていたのが、逆に「私は守られていたんだなー」「 ありがたいなー」って思えた

そんな風に思えたら、なんだか、本来の「お母さん」と「娘」のポジションに戻れた ような、そんな気にもなった

そしたら、お母さんの存在感が私の中でグッと大きくなった

むしろ、今までお母さんの存在が薄かったのは、大きすぎて見えなかっただけなのかな?とすら思えた



同時に、
「あー、私もお母さんみたいになりたいなぁ」
そんな気持も湧き上がってきた

それは、義務感でも正義感でもなんでもなく、自然に湧き上がってきた気持ちだった



その「お母さんみたいに」って言うのは、
〇〇ができるとか、お母さんみたいにあーしなきゃこーしなきゃってお母さんを真似するんじゃなく、
「お母さんみたいに、 子供達を暖かく包める存在になりたい」みたいな、
「お母さんみたいな」心の持ち方と言うか、存在感と言うか、「在り方」と言うか…そんなところが「お母さんみたいになりたい」
そんな感じだった



それは、「目標」でも「理想」でもなくて、「憧れ」とか「尊敬」とか、そんな感じだった

しかも、
「そんなお母さんの娘だから、 きっと私もお母さんみたいになれる
」
」そんな、根拠のない自信もあった

私はこれまで、お父さんは怖くて厳しくて束縛されていたように感じていたけれど、
そうやってお父さんの元で不自由さを感じていたのは、お母さんの元で、めいっぱい 自由を感じるためだったのかもしれない、
お父さんの存在は、お母さんの存在を感じるための壁だったのかもしれない、
そんな風にすら思えた。
それに、「やっぱりお母さんは幸せだった!」とも思えたんだよね

「みんなのことを見守って、みんなのためを思って色々頑張ることが、お母さんの幸せだったかもしれない」と、心から思えたりもした



「お母さんが尊敬する人」になって、私のお母さんへの想いが、私のお母さんの見え方が一気にグルンとひっくり返ったような、そんな感じだった

なんだかそれが、嬉しかった





とにかく、色んな気づきと幸せな気持ちがいっぱいの東京旅行となった

きっと、この旅行のことは、一生忘れられない

そんな、大切な思い出になった



…それにしても、
「大好き」や素直な気持ちを伝えることが、こんなにも勇気のいることだとは、思わなかったなぁ

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました

おわり