言葉とは人類に与えられた宝物です。

特に文字に変換された言葉は、書き記されることによって、

その瞬間を保存し、思考を直接届く表現に変えて、

時空間を超え、時には何千年もの間受け継がれ、人々を動かしてきました。

あたかもパラレルワールドに飛ぶように、言葉になった思考は、

遠い先の未来に向けて、遥か遠くの知らない誰かに、

大きな気付きをもたらすこともあります。

 

 

人は言葉によって傷つき、言葉によって癒されます。

言葉によって伝えたいのは、常にその裏にある意志というもの。

コミュニケーション能力は、知性ではなくて愛の力です。

無条件の愛そのものである神と潜在意識からつながれば、

当然のように失言などはなくなり、

全ての言葉を祈りのように紡げるようになるでしょう。

しかし人間に自我=エゴというものがある以上、

そこまでの境地は難しいかもしれません。

 

鳴き声などで意思疎通を図る、

言葉というツールを持たない動物たちは、

コミュニケーションを取るときに、

ニュアンスによる誤解を避けることができますが、

何かによって受け取った、例えば大きな感動のような瞬間を、

書き記し、書き残し、後世に受け継ぐことは難しいでしょう。

 

本を読む時、時に私たちは何年も前の人たちの言葉に感動し、

学び、魂が震える思いを味わいます。

歴史のような実話であっても、作られたストーリーであっても、

そこには生きた人間の血が通い、

彼らがあたかもそこにいるように、心を通わせる事ができます。

感動を、夢を、そのひと時を、誰も奪うことはできません。

できるのは共有、共感する事のみです。

言葉や文字はその感動を伝え、残すことができます。

 

どの様な状況下においてもそれは同じです。

例えば孤独な病室において、1冊のがどれだけ人を救うことでしょう。

心を込めた祈りの言葉が、どれだけ人を励ますことでしょう。

  

 

たくさんの本を読んで学び、多くの情報を身に着けて考えれば、

情報と情報の間に知性が宿り、新たな真理を導き出すでしょう。

また何かの役に立たなくとも、純粋に知りたい、学びたいという欲望も、

限界に挑戦したいという気持ちも、人間ならではの本能です。

だから読書や学びはこの上なく素晴らしい、

人間ならではの特権であるといえます。

 

遠い昔アカデメィア学園で、プラトンとアリストテレスが熱い議論を交わしたこと、

書き残された偉人の言葉である聖書や経巻の解釈をめぐる長い戦い、

様々な宗教が分裂してきたこと。

時に言葉や文字は誤解や対立を生む大きな原因にもなります。

パワーあるものは、いつでもまるで鋭い刃のように諸刃の剣です。

 

しかし非常事態が人の物理的所有を奪い、距離を離す事はできても、

心の距離や、魂の絆を断ち切ることはできません。

病が人の命を奪っても、輪廻によるを解くことができないように。

憎しみの刃は人を傷つけることはできず、のように本人に戻るでしょう。

私達はすでに守られ、完成されているのだから。

 

自らの光のプロテクションで、自分に受け入れるものを選び、

発信するものを選んでいく、選択力と解釈力こそが重要です。

無自覚にではなく、それを自覚して行うことによって、

光のプロテクションは、より強化されるでしょう。

それが知性により武装するということです。

 

何度も届くメッセージが、いつかは分かる真実が、あきらめない不屈の努力が、

ただ愛と祈りだけが、氷の時間と心を溶かしてくれます。

開けない夜がないように。たとえ枯れてしまったとしても、

その花から、美しく咲いていた、過去の時間を奪うことはできないのです。

 

写真も同じく、その美しい瞬間を切り取って閉じ込める行為で、

これも人間だけがなしえた偉業といえるでしょう。

 

 

書き残し、書き記す。その感動の時を閉じ込める。

これは人間だけに与えられた素晴らしい能力です。

言葉を書き残すという知性を与えられたのは人間だけです。

 

もしネガティブな言葉が浮かんでしまったら、その思考は認めて流してください。

自分の中にある闇の部分を完全に消し去ることはできないとしても、

口に出し、書き記した途端に、言葉はさらに強いエネルギーを持ちます。

思考は言葉を生み出し、言葉は行動を、行動は習慣になり、習慣は性格を、

性格は運命になる、とはマザーテレサの言葉として有名ですが、

実はブッダも、ガンジーも同じように語り、仏教の12因縁も同じ思想で、

衣食住を究極に断捨離して、現世の欲を絶つことによる修行です。

どこでエンドレスに繰り返すスパイラルの輪を断ち切るか、

そこが人間が決められた運命に対して力を発動することができる瞬間です。

まず言葉に気を付けることによってそれは可能となるのです。

 

 

私たち人類は、規則性と不規則性の中を生きながら、

同じ頂点に、違うルートで登る仲間たちのようなもの。

あえて断崖絶壁の岩登りのような険しい道を選んでも、

たまにはロープウェイで景色を楽しんでもそれは自由です。

 

しかしただ一つの真理を求めて、私たちは今まさにここに集っています。

どうぞ日々の気付きや、学びを、あなたも書き記し、書き残してください。

答えが出なくとも、信じながら疑い、迷いながら進み、

何かを知るという感動を受け継いでいく。。

いつか歴史がその答えを出す日まで、

自分の直感と魂の震えるその感動をただ書き記してください。

書き残されたあなたの言葉が、いつか遠いどこかで、

誰かの心を救う日が来るかもしれません。