相手のことを心から信じたいのに、

気づけば相手に「試すようなこと」をしてしまう…。

そんな自分がイヤだった時期が、私にもありました。


心理カウンセラー・公認心理師の栗林あや(いがぐりこ)です。

今日は、少し昔の、私の原点のような体験について書こうと思います。


あのとき感じた「見捨てられた」という感覚が、
今の人間関係にまで、ずっと影響してきたんじゃないか…

 

そんなふうに思うからです。
 

長くなりますが、よかったらお付き合いください。

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私がまだ幼稚園に入る前の、2歳か3歳の頃。

母と買い物の帰り道、近所の公園に寄って、アスレチック遊具の すべり台に登ったことがありました。


登るときはなんともなかったのに、てっぺんまで来た瞬間、怖くて足がすくんでしまったのです。

下を見ると、すべり台の鉄のパイプの隙間から地面が見えて。

その遠さに、急に怖くなって、手すりを握りしめて大泣きしていました。

「たすけて」と言いたいのに、うまく声にならない。


そんな私を見て、母は困ったような顔をして、

「どうしよう、どうしよう、お母さんスカートだから登れないの」と言いました。

「あやちゃん、お母さん、スカートで登れないから、自分で降りておいで」と。


でも小さな私は、怖くて手すりから手を離すことができませんでした。


どうしても無理だったのです。

母はその場で困り果てて私を眺めている。

でも、来てくれない。


そのとき私のなかには、こんな思いが渦巻いていました。

「なんで?なんでお母さん、来てくれないの?」

「スカートなんて気にしてないで、私を助けてくれればいいのに」



まだ小さかったから、そんな思いを言葉にすることはできなかったけど、
 

母が来てくれないことが、怖さよりも、

悲しくて、悔しくて、切なくて、腹立たしくて、どうしようもなかった。


しばらくして、近所の小学生くらいのお兄ちゃんが公園にやってきて、
「降りれないの?一緒に降りようね。大丈夫だよ」と声をかけてくれました。

お兄ちゃんは私を膝にのせて、一緒に滑ってくれました。
 

そのとき、ほんの少しホッとしたのを覚えています。


でも、私の心のどこかには、


「いちばん近くにいるはずの 大好きな人は、私のことを助けてくれなかった」
 

という体験だけが、深く深く刻まれてしまったのです。


それはきっと、「見捨てられた」という感覚でした。

 

=====

この話を、自分なりに精神分析の視点でふりかえってみると、

あのときの私は、

「助けを求めたのに見捨てられた」

「困っていても、大切な人は来てくれない」

「私が大切な人は、言い訳をして私を見放す」


という思いを強く抱いたんだと思います。


母は別に、私を見捨てようと思っていたわけではなかったはずです。


でも、子どもにとっては「助けてもらえなかった」という事実だけが残ります。

そうなると、

「私のことは、いつも後回しにされる」

「私のしんどさより、大人の都合の方が優先される」

 

「大好きだよ・大切だよって言われていても、守ってもらえるとは限らない」

という「前提」のようなものが、心の底にできあがっていくんですよね。

その前提は、何十年経っても、消えずに残ることがあります。


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たとえば、若い頃にお付き合いしていた人との関係でも、似たような場面がありました。


私が困っているとき、しんどいとき。

「本当にこの人は、私のために何かしてくれるだろうか」


「いざとなったら、見捨てられるんじゃないだろうか」

そんなことが、気になって仕方がなかった。


相手が私の希望を叶えられない時、相手が何か「言い訳」をすると、

 

私の中で、当時のあの「すべり台」の記憶が、無意識にリンクしてしまうのです。(もちろん無自覚です)


母が「お母さんスカートだから、あやちゃんを助けられない」って言ったのと同じように、

相手から「時間がない」「立場がある」「距離がある」

そんな理由を聞くたびに、

 

「・・・ああ、まただ。この人も私を見捨てるんだ」と思ってしまう。

「頼れるはずの人に、決定的な場面で裏切られる」という怒りと虚しさを繰り返してしまうのです。

 


そのたびに、心の奥で、小さなあの子が


「なんで?どうして来てくれないの?」
 

と泣いているのを感じていたのかもしれません。


そしていつの間にか、
 

「自分のために『犠牲』を払ってくれなければ、私は大事にされていない」
 

そんなふうに思うようになっていた気がします。


=====

もちろん、いまはカウンセラーとして、人の心の痛みに寄り添う仕事をしています。

でも、自分自身の「見捨てられ体験」が
完全に消えてなくなったわけではありません。

むしろ、それがあるからこそ、
誰かの「助けて」に敏感に反応してしまうこともある。


「犠牲=愛」だと思っていた部分も、正直なところ、ありました。

私自身も「愛」を証明するために、
自分を犠牲にして、疲弊してしまうことが何度もありました。


でも、少しずつ思い直しているところです。



「助けられなかった=愛されなかった」とは限らないかもしれない。

母にも母なりの理由や限界があったのかもしれない。

そしていまは、犠牲を払わなくてもつながれる関係を、
少しずつ選んでいってもいいんじゃないか。


そうやって、「私を優先しなかった人」の記憶を、少しずつほどいている途中です。


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この話が、もしかしたら誰かの心にも響いたらいいなと思います。


「自分のことを本当に思ってくれているなら、犠牲を払って当然」

「言い訳をする人は、結局私のことなんて大事じゃない」

「都合いい時だけ、私を愛するなんてズルい」

そんなふうに感じて、傷ついてきた方へ。


もしかしたら、その根っこには、
過去の「助けてもらえなかった記憶」が眠っているかもしれません。


その記憶を否定せず、でも縛られすぎず。


いま目の前にいる人と、もう一度、あたらしい信頼関係を育てていけたら。


いまの人も、あの時の人と同じように見えるかもしれないけれど、
昔のように「助けてもらえない」とは限らないかもしれません。

少しずつでも、それができたとき、
あの滑り台のてっぺんで泣いていた小さな自分が、
安心して、そっと手すりを離せるようになる気がします。






もし、この記事を読んでいて、

「私も、あの頃の感覚がまだ残っているかもしれない」
「人との関係がこじれるのは、自分が試してしまうからなのかな」

そんなふうに思い当たることがあったら、

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