方向を錯覚して間違っていたので
訂正をしました。申し訳ありません。
写真を1枚追加しました。
今回から墨俣一夜城の紹介です。
はじめに墨俣一夜城の歴史です。
2026年4月4日に訪問しました。
この日は春の嵐で、雨と暴風で
残念な日です。
さらに災難なことがあり、カメラ
が水にぬれて故障しました。次の
日には乾いたのか、電源が入り作
動しました。
Googleマップです。
岐阜城との位置関係です。
拡大すると
墨俣(すのまた)一夜城は、
岐阜県大垣市にある、豊臣
秀吉(当時は木下藤吉郎)
が1566年に織田信長の命
を受け、美濃攻めの拠点
として、一夜にして築いた
と伝えられる伝説の城です。
実際の城郭ではなく砦であ
ったとされます。
前野家古文書にある一夜城の絵図です。
私が赤で書き込みを入れました。
柵と土塁で囲まれた砦です。
周囲の川が掘り代わりです。
現在はその跡地に大垣城
を模した大垣市墨俣歴史
資料館が建てられていま
す。 ただし、洪水で昔と
は地形がかなり変わって
います。
墨俣一夜城の模擬天守です。
出来れば馬止柵と土塁だけ
で、見晴台のある砦にして
欲しかった。
墨俣城天守から見た岐阜城(稲葉山城)
です。(拡大しています)
戦国軍記「武功夜話」に詳しく
解説されています。ただ重要な
この事件について、太田牛一の
『信長公記』をはじめとする良
質の史料には、まったく記載が
ないのです。
「武功夜話」は愛知県江南市の
旧家・吉田家に伝わる家伝文書
群「前野家文書」の一つ。
吉田家27代当主の弟吉田蒼生雄
(たみお)さん=東京都=によ
ると、戦国時代に土豪だったと
いう前野家(後の吉田家)の系
図や歌集、書簡など各種記録の
うち、前野家が織田家・豊臣家
に仕えたので残ったそうです。
「桶狭間の戦い」、「墨俣一夜城
の築城」などさまざまなエピソ
ードについて、吉田家16代当主
の吉田孫四郎雄翟(かつかね)
が江戸時代前期に書いたものだ
そうです。江戸時代後期に書か
れた『絵本太閤記』には一夜城
のことが書かれていますが、こ
れは1800年頃のもので、事実を
捏造している可能性があります。
墨俣城跡にある墨俣一夜城(大
垣市墨俣歴史資料館)も『前野
家古文書』に基づいて展示を行
っています。
前野家文書は非公開で、吉田家
は、東京大学史料編纂所の調査
依頼に一度は応ずるが、結局約
束を反故にしてその場に現れず、
内容に関しても現代において作
られたと考えられるものが多数
含まれているにもかかわらず、
今に至っても原本は公表されて
いません。
残念ですね。
今日戦国ドラマや書物で紹介さ
れている墨俣一夜城の内容は、
ほとんどで前野家古文書が使用
されています。
さらに地図を拡大すると
墨俣一夜城のGoogleマップです。
1586年6月、木曽三川の大氾濫で
木曽川の流路が現在の位置に収ま
ったので、墨俣は戦略上の重要性
を失い、以来この地が城として使
われることはなかったのです。
洪水で地形が変わり、あまり参考
になりません。
中世の木曽川は墨俣で長良川と合流
していました。
洪水で地形が変わり、墨俣一夜城
の利用価値がなくなり、1586年に
廃城となりました。
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