大宰府 10  大宰府天満宮と牛 | みどりの木のブログ

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3日おきに更新しています。

前回の続きです。

今回は大宰府天満宮と牛までです。

 

観世音寺前から大宰府天満宮神門前

までです。上図ピンク色の線に沿っ

て移動しました。

 

天満宮付近を拡大すると

ピンクの線に沿って移動しました。

①は」駐車場です。1000円程の料

金がかかりました。天満宮から離

れた所の駐車場は大変安いです。

こんなことを知っていれば、もっ

と遠い場所に駐車したと思います。

昔の宮司さんは、これからは自動

車の時代と考えて、下図にあるよ

うな、巨大な駐車場を造り、また

九州国立博物館も誘致しました。

 

天満宮駐車場(有料)ここなら

半額です。

 

下図①付近です。右に駐車場

があります。

 

①から②へ進んで、

②で左に曲がります。

 

上図の②付近です。

上図②から③の通りです。

この道は参道になっています。

 

下図②付近です。

ちらほら外国人も見かけます

 

さらに進むと

 

下図③付近です。

右に御神牛が見えます。

前面の門は延寿王院で、

太宰府天満宮が安楽寺

天満宮と呼ばれていた

ときの宿坊です。現在

は太宰府天満宮宮司、

西高辻家(道真の末裔

)の邸宅となっていま

す。(内部非公開)

 

現地案内板です。

③付近に御神牛の像があります。

 

御神牛です。

太宰府天満宮だけで12体もの

御神牛がいます。

下図参考

 

上の写真は黒①です。

 

太宰府天満宮の由緒書きです。

 

インドでもないのに何故牛が多いか

と言うと、宇多天皇に重用された、

右大臣:菅原道真の物語によります。

 

菅原道真の肖像画です。(大宰府

天満宮より)

 

845年生まれの菅原道真は、元の

姓が土師氏でした。古墳を造るの

が稼業でしたが、土師氏の中でも

古墳の設計をしていた家に生まれ

たためか、古墳が造られなくなり、

土師氏は没落しますが、学問での

生き残りにより、桓武天皇の御代

(781年)に、居住地である大和国

添下郡菅原邑に因んで菅原姓への

改姓を願い出て、これを許されま

す。

901年に藤原時平の陰謀で大宰府

に左遷されます。

 

菅原道真は大宰府の南館で2年間

暮らしています。太宰権帥ですが、

仕事はありませんでした。京都で

は右大臣でしたので左遷です。

(官名にかぶせて、定員外にかり

(=権)に置いた地位)

 

大宰府南館で無念の思いで暮らし、

2年後に亡くなります。遺言によ

って道真は大宰府に葬られること

になり、亡骸を牛車に乗せて進ん

でいたところ、急に牛が動かなく

なったので、この地に葬ってほし

いという道真の思し召しであろう

と、その場所に埋葬したと伝えら

れています。墓所の上に建てられ

たのが現在の太宰府天満宮です。

903年に59歳で没した菅原道真公

の墓所(現在の本殿位置)に建立

された神社です。門弟が墓を建て

たのが始まりで、919年に社殿が

創建されて以来、学問・文化の神

として1100年以上の歴史を誇り、

現在は全国天満宮の総本宮です。 

 

 

ユーチュブにある菅原道真の物語です。

(約14分です)

 

今回はここまでで、次回につづく

 

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