前回の続きです。
今回は大宰府天満宮と牛までです。
観世音寺前から大宰府天満宮神門前
までです。上図ピンク色の線に沿っ
て移動しました。
天満宮付近を拡大すると
ピンクの線に沿って移動しました。
①は」駐車場です。1000円程の料
金がかかりました。天満宮から離
れた所の駐車場は大変安いです。
こんなことを知っていれば、もっ
と遠い場所に駐車したと思います。
昔の宮司さんは、これからは自動
車の時代と考えて、下図にあるよ
うな、巨大な駐車場を造り、また
九州国立博物館も誘致しました。
天満宮駐車場(有料)ここなら
半額です。
下図①付近です。右に駐車場
があります。
①から②へ進んで、
②で左に曲がります。
上図の②付近です。
上図②から③の通りです。
この道は参道になっています。
下図②付近です。
ちらほら外国人も見かけます。
さらに進むと
下図③付近です。
右に御神牛が見えます。
前面の門は延寿王院で、
太宰府天満宮が安楽寺
天満宮と呼ばれていた
ときの宿坊です。現在
は太宰府天満宮宮司、
西高辻家(道真の末裔
)の邸宅となっていま
す。(内部非公開)
現地案内板です。
③付近に御神牛の像があります。
御神牛です。
太宰府天満宮だけで12体もの
御神牛がいます。
下図参考
上の写真は黒①です。
太宰府天満宮の由緒書きです。
インドでもないのに何故牛が多いか
と言うと、宇多天皇に重用された、
右大臣:菅原道真の物語によります。
菅原道真の肖像画です。(大宰府
天満宮より)
845年生まれの菅原道真は、元の
姓が土師氏でした。古墳を造るの
が稼業でしたが、土師氏の中でも
古墳の設計をしていた家に生まれ
たためか、古墳が造られなくなり、
土師氏は没落しますが、学問での
生き残りにより、桓武天皇の御代
(781年)に、居住地である大和国
添下郡菅原邑に因んで菅原姓への
改姓を願い出て、これを許されま
す。
901年に藤原時平の陰謀で大宰府
に左遷されます。
菅原道真は大宰府の南館で2年間
暮らしています。太宰権帥ですが、
仕事はありませんでした。京都で
は右大臣でしたので左遷です。
(官名にかぶせて、定員外にかり
(=権)に置いた地位)
大宰府南館で無念の思いで暮らし、
2年後に亡くなります。遺言によ
って道真は大宰府に葬られること
になり、亡骸を牛車に乗せて進ん
でいたところ、急に牛が動かなく
なったので、この地に葬ってほし
いという道真の思し召しであろう
と、その場所に埋葬したと伝えら
れています。墓所の上に建てられ
たのが現在の太宰府天満宮です。
903年に59歳で没した菅原道真公
の墓所(現在の本殿位置)に建立
された神社です。門弟が墓を建て
たのが始まりで、919年に社殿が
創建されて以来、学問・文化の神
として1100年以上の歴史を誇り、
現在は全国天満宮の総本宮です。
ユーチュブにある菅原道真の物語です。
(約14分です)
今回はここまでで、次回につづく
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