今回からは京都御所の紹介です。
2015年にも紹介したのですが、
展示が少し変わっています。
一般公開中の2024年12月1日
に見学しました。
今回は京都御所の歴史です。
公家町でもあった京都御苑です。
赤枠内が京都御所(内裏)です。
御所は東西250m・南北450m
の長方形です。内裏(だいり)
とは、天皇の住まいである宮殿
や皇居の古称で、禁中や禁裏、
御所とも呼ばれます。天皇の
私的な在所です。
これは現在地にある案内板です。
上図赤枠内の京都御所(内裏)は
拡大すると
京都御所(内裏)案内板です。
つまり、京都御苑(公家町)の
中に京都御所(内裏)がありま
す。内裏は南側に天皇の公的な
部分があり、北側は後宮で私的
な部分です、
平安京の大内裏は
公家町が現在の京都御苑です。
平安京は右京に水源がないの
で、鴨川のある左京へと住居
が移動しました。天皇の住居
である内裏も鴨川の近くに移
動して、公家町が形成されて
います。
公家町を大きくすると
幕末頃の公家町です。
(ウイッキペディアから引用)
公家町の中にお公家さんの家が
たくさんありますが、公家町の
外にもあったそうです。借家を
経営していたお公家さんもいた
ようです。石高を見ればほとん
ど100石前後以上あるので、み
なさん豊かな暮らしのようです。
特に上級のお公家さんは千石以
上もあり、お金持ちでした。
明治天皇が東京に住むようにな
り、公家町のお公家さんもみな
東京に行きました。
10年後荒れ果てた公家町を見
た明治天皇の気持ちで、周囲に
何もなかったのに、石垣を造り
公園として整備しました。
京都に残ったお公家さんは、
冷泉家のみと言われます。
京都御所の歴史年表は
現地上図③付近にあった解説板です。
1331年に光厳天皇が今の御所の
位置にあった里内裏(内裏が焼失
などで使用できない時に使用)で
践祚し、以後この地が約500年間
京都御所(内裏)として使用され
ました。
1790年に裏松光世らの考証で、
古制にのっとり寛政度内裏が造営
しました。
1855年に嘉永の大火で焼失した、
内裏を新しく造営しました。これ
が現在の内裏(京都御所)です。
この内裏の紫宸殿で、後箇条の御
誓文発布と明治・大正・昭和天皇
が即位しています。
下図Aの承明門から見た紫宸殿です。
京都御所の南側半分です。
現地にあったっ解説板です。
794年に桓武天皇が平安京(京都)
に遷都してから、1869年に江戸
に天皇が行くまで、日本の首都で
した。
江戸時代後期の「都名所図会」に
描かれた京都御所です。
南門(建礼門)から承明門なしで
紫宸殿になっています。
現在の御所です。
明治初期の京都御所古写真です。
白黒写真を着色しています。
承明門がありませんね。
(手前が南門(建礼門)です)
平安時代の内裏です。
内郭と外郭の2重に
なっています。
内郭の南門が承明門
です。大きな儀式で
お公家さんが入場す
る門でした。
戊辰戦争で江戸が焼け野原になっ
ていたら、東京は首都にはならな
かったでしょう。地方は衰退して、
東京一極集中が続く時代です。
企業の政治献金を禁止にすれば、
少しは改善されるかもです。
また、東京都は税金が集まって
きて、地方より贅沢が出来ますね。
例えば教員定数を区立の学校で
は、1名増員するとか、大規模な
公共工事とか、地方では出来ない
ことです。
早く企業献金を禁止する方がいい
ですね。
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