偕楽園 7 好文亭後編 | みどりの木のブログ

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3日おきに更新しています。

昨日の続きです。

今回は好文亭後編です。

好文亭本館から奥御殿に

行きます。

 

下図華燈口です。

 

 

下が北の見取り図です。

 

太鼓廊下です。

反橋のようなカーブになっています。

ここで刀を振り回せないように、廊下

の幅が狭いです。

 

菊の間です。

板敷で食事の準備場所でした。

 

桃の間です。

ここも板敷で食事の準備場所でした。

 

入側と言うのは縁側廊下と部屋

の間にある畳廊下です。

 

ツツジの間です。

藩主婦人来亭の際などに

お付きの婦人た ちの詰め

所・休憩室として使用され

ました。

 

桜の間です。

藩主婦人来亭の際などに

お付きの婦人た ちの詰め

所・休憩室として使用され

ました。

 

萩の間です。

藩主婦人来亭の際などに

お付きの婦人たちの詰め

所・休憩室として使用され

ました。

 

竹の間・梅の間・清の間の

三室一棟は、明治2年に、

水戸城内にあった中御殿

の一部材料を運び奥殿に

増築したもので、斉昭が

存命のころには無かった

部屋です。

斉昭公夫人の貞芳院が

明治2年から6年まで、

「梅の間」を中心に住ん

でいました。その後は

東京の水戸藩邸に移り

ました。

 

貞芳院(吉子女王)晩年の写真です。

第9代藩主:徳川斉昭の正室でした。

有栖川宮織仁親王第12王女(末娘)

で第10代藩主・徳川慶篤と最後の

征夷大将軍・徳川慶喜の母です。

(享年90と長寿でした)

戊辰戦争では慶喜が有栖川宮織仁

親王から朝敵として追討されていま

す。義理の父親からの追討なので、

困惑したことでしょう。

 

竹の間です。

 

梅の間です。

貞芳院(吉子女王)が5年間

この部屋を中心に住んでい

ました。

 

清の間です。

 

 

紅葉の間です。

松の間は奥対面所で、

紅葉の間は、その次の

間です。

 

松の間です。

松の間は奥対面所で、

紅葉の間は、次の間

です。
藩主婦人や、高貴の

方々の御座所で紅葉

の間との間には入側

(畳廊下)をもって隔

ててあります。

 

 

グーグル地図です。

 

今回はここまでで、明日に続く

 

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