今回はスイセンの郷の北側にある、
赤土山城の紹介です。
ここは規模が小さく、砦または見張り台の
ようなところです。
下図北側①方向から見た赤土山城です。
手前が2郭でその上が主郭部です。
道路で東側が削られています。(下が北のグーグル地図です)
上図②方向から見た写真です。
上図③方向から見た図です。
赤土山城は鎌倉時代末期から南北朝時代
にかけて活躍した、楠木正成の本城上赤坂
城の支城砦群のひとつで、1332年に築か
れたと言われます。同時期に鎌倉幕府軍が
攻めてきますので、急ごしらえの砦で、すぐ
に落城しました。
楠木正成屋敷跡が下図のように、ピンクの
点線部分で、発掘調査で堀や瓦も出土して
います。なので、その南側を守るために造ら
れた、見張り台とも考えられます。
元弘二年(1332年)楠木氏の家臣だった、
神宮寺正師が守備しました。神宮寺という
家臣は大阪八尾にその地名があり、そこ出
身の人らしいです。楠木八臣( 和田正遠、
満仁王丸、恩地満一、湯浅定仏、八尾顕幸、
宇佐美正高、志貴朝氏、神宮寺正師)の1
人です。
『太平記』巻16に、延元元年の湊川の戦い
で戦死した楠木氏一族6人の中に楠木正成
公八臣の一人である神宮寺太郎兵衛正師
の名があります。『和田文書』には神宮寺
新判官正房の名が湊川合戦で奮戦した者
として記されています。両名は同一人物と
も考えられます。
グーグルよりの地図です。
南北逆の下が北です。
上図②で登城口が左端に見えます。
②の上側にある上り口の部分です。
上がると
スイセンの花が咲いていました。
この辺りが2郭⑤にあたるところでしょう。
2郭から上がってきた、②の方を見たところです。
主郭⑥のところに上がりました。
⑥から下の2郭を見たところです。
⑦から北側を見たところです。
この辺の平地が本郭になります。
手前に見える郷土史料館辺りが、楠木
正成の屋敷跡です。さらに遠くに大阪市
内が見渡せます。
⑦から⑩方向の谷を見たところです。
⑧の方に行くと
下に降りる道があります。
途中まで下ったところです。
ここでカーブして右下に降ります。
下に降りたところ⑨から、降りてきた
ところの坂を見たところです。
最後に④から見た、赤土山城です。
今日はここまでで、明日は1月にお参り
した滝谷不動尊です。
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